ドイツに向かうある土曜日の朝7時、家内と私はロンドン郊外のヒースロー空港にいた。今日から2泊3日で旅行に出ようというわけだ。(その頃の私たちはイギリスの首都ロンドンに住んでいた。)
今回の行き先はドイツ。2年ぶりのドイツだ。しかし、空港到着がちょいと早すぎた。自宅から空港までの道が珍しくすいていたもんだからね。出発の時間まで空港内のパブでビールを飲み、イングリッシュ・ブレックファストを食べて待つ。
ベルリン、ポツダム、ライプツィヒ、マイセン、ドレスデン今回の旅で訪れるのは旧東ドイツ。冷戦時代にはベルリンの壁によって東西に分断されていたベルリンを皮切りに、ポツダム、ライプツィヒ、マイセン、ドレスデンを廻って行く。(下の略図を参照。)
プロイセン公国・王国やドイツ帝国の歴史、第二次世界大戦、ヨーロッパの人々の憧れだったマイセンの陶磁器、ザクセン王国の古都をめぐっていくわけだね。
ベルリン到着、まずはシャルロッテンブルク宮殿ベルリンの空港に着陸したのは12時半。入国手続きや荷物の受け取りなどを済ませ、ツアーのバスに乗り込んで空港を出発した時には13時半になっていた。ベルリン市内に入ったバスが路上に停車した。その脇にあるのが今日の最初の目的地であるシャルロッテンブルク宮殿(下の画像)だった。
西暦1699年にこのシャルロッテンブルク宮殿の建設を始めたのが、ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世だった。ところが、その2年後の西暦1701年に彼は初代のプロイセン王フリードリヒ1世として即位している。スペイン継承戦争においてハプスブルク家の側に立ったことへの見返りだった。(上の画像に見える騎馬像はフリードリヒ1世の息子のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世。)
ベルリン大聖堂、ホーエンツォレルン皇帝家の墓標西暦1448年、ブランデンブルク辺境伯がベルリンに宮殿を築いた。以後、ベルリンはプロイセン公国、プロイセン王国、そしてドイツ帝国の首都であり続けたんだ。
西暦1905年、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が帝国の首都に築いたのが、上の画像にあるベルリン大聖堂だった。この大聖堂にはヴィルヘルム2世の父にしてドイツ帝国の初代皇帝だったヴィルヘルム1世の墓所もある。しかしながら、ドイツ帝国は第1次世界大戦に敗れ、皇帝ヴィルヘルム2世は西暦1918年に亡命している。
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