東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「旧東ドイツの旅」

02. ベルリンに見る戦争の歴史

クーダム通りに見る戦争と平和

続いて、私たちを乗せたツアーのバスはクーダム通りに停まった。ベルリンでも有数の繁華街なんだそうな。ツアーのお仲間や家内はデパートの中に消えていく。しばし、買い物を楽しむんだそうな。

ベルリンに戦争の傷をさらすヴィルヘルム皇帝記念教会をクーダム通りから遠望(旧東ドイツ)

が、買い物に興味の無い私はクーダム通りを散歩。その時の風景が上の画像なんだ。親子連れもいれば、ベンチに腰掛けている人々もいる。平和な風景だよね。でも、この風景の中でも戦争の悲惨さを強烈に訴えているものがある。

戦争の惨禍をさらすヴィルヘルム皇帝記念教会

それが下の画像にあるヴィルヘルム皇帝記念教会。西暦1891年に建設が始まったこの教会は、西暦1871年に成立したドイツ帝国の初代皇帝ヴィルヘルム1世の功績を讃える為に皇帝ヴィルヘルム2世の提唱によって建設されたんだそうな。

ベルリンに戦争の傷をさらすヴィルヘルム皇帝記念教会(旧東ドイツ)

その塔の高さは 113mもあった。ところが、第二次世界大戦におけるベルリン空爆によって破壊され、その高さは71mになってしまった。西暦1943年11月のことだった。戦争が終わり、瓦礫は撤去された。でも、破壊された塔は再建されることなく戦争の災禍を物語る記念碑となっている。

ちなみに、上の画像の中で教会の手前に巨大な知恵の輪のようなものが見えるよね。この彫刻は握手を表現しているらしい。余談ながら、上の画像の上のほうには青いパイプが見えるよね。これは地下水の排水の為のパイプらしい。ベルリンのあたりは低地ドイツとも呼ばれ標高が低く地盤は砂地で穴を掘るとすぐに水が出てくるんだそうな。

19世紀の戦争での勝利を記念する戦勝記念塔なんだけど ・・・

ベルリンには下の画像にある戦勝記念塔もそびえている。西暦1864年にデンマークと戦ったシュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争、西暦1866年にオーストリアと戦った普墺戦争、西暦1870年から翌年にかけて皇帝ナポレオン3世のフランスと戦った普仏戦争、それら三つの戦争における勝利を記念して建てられたもの。塔の上に立つ金色の像は、勝利の女神ヴィクトリアなんだそうな。

ベルリンにそびえる戦勝記念塔(旧東ドイツ)

プロイセン王国とドイツ帝国の栄光の歴史を物語る記念碑だよね。ところが、第二次世界大戦におけるドイツの敗北を物語るものでもある。大戦末期、ベルリンにおける市街戦の際、ドイツ軍の兵士たちはこの塔に立て籠もって抵抗したらしい。今でもこの塔には焼け焦げや弾痕が残っているんだそうな。戦勝記念塔という名の敗戦の記念碑でもある。

ベルリンに突入した旧ソ連軍の戦車

ドイツの栄光を示す戦勝記念塔の近くには、下の画像に見る戦車がある。西暦1945年4月30日にベルリンに最初に突入した旧ソ連軍の戦車なんだそうな。ちなみに、戦車の奥に見えるのはソ連軍の戦勝記念碑。

ベルリンに突入した旧ソ連軍の戦車(旧東ドイツ)

この戦車がベルリンに突入したその日、ヒトラーが自殺した。以後、ドイツ軍部隊が次々と連合国軍に降伏している。ドイツの降伏は5月7日のことだった。その年の7月には日本に対するポツダム宣言が発せられ、間もなく日本も降伏することになったわけだ。

その後のドイツは東西に分断され、ベルリンには壁が築かれた。そのベルリンの壁については次のページで。


次のページは 「03. ベルリンの壁とブランデンブルク門」




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