東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「旧東ドイツの旅」

04. ペルガモン博物館にあるゼウスの大祭壇

ペルガモン博物館で見たゼウスの大祭壇

ドイツの首都ベルリンを流れる川には博物館島と呼ばれる中州がある。文字通りいくつもの博物館・美術館が集まっている。その一つにペルガモン博物館がある。その博物館の目玉となる展示が、博物館の名前の由来となっているペルガモンで発掘されたゼウスの大祭壇だ。その様子が下の画像だね。

ベルリンのペルガモン博物館で見たゼウスの大祭壇(ドイツ)

ペルガモンというのは現在はトルコ領となっている小アジアにかつて栄えた古代都市なんだけど、このゼウスの大祭壇はそのペルガモンで紀元前2世紀前半に築かれたものと考えられている。

西暦1864年、小アジアのペルガモン(今はベルガマと呼ばれている)を訪れたドイツ人カール・フーマンは、そこでゼウスの大祭壇などを含む遺跡を発見した。その後、オスマン・トルコのスルタンの許しを得た彼は西暦1878年からペルガモンの発掘を開始した。

ゼウスの大祭壇をはじめとするペルガモンでの発掘品は、スルタンの許可を得た上でベルリンに運ばれてきた。そんな貴重な発掘品を展示する為の博物館として建設されたのが、このペルガモン博物館だったそうな。その完成は西暦1930年のことだった。

ゼウスの大祭壇と戦争

ところが、やがて第二次世界大戦が始まった。ドイツの首都ベルリンにも連合国軍による空襲が行われた。空襲による破壊を免れる為、ゼウスの大祭壇などペルガモン博物館の展示品は、ベルリンの郊外に疎開されていたんだそうな。

そして西暦1945年、ベルリンにソ連軍戦車が突入し、ヒトラーが自殺し、数日後にドイツは降伏した。戦争は終わった。しかし、ドイツは連合国軍によって占領され、ゼウスの大祭壇は戦利品としてソ連軍が持ち去ってしまったらしい。

ベルリンのペルガモン博物館で見たゼウスの大祭壇の彫像やレリーフ(ドイツ)

そんなゼウスの大祭壇などのペルガモン博物館のお宝がソ連から返還されたのは西暦1959年のことだった。かくしてベルリンへ来れば上のようなペルガモンの遺跡から発掘された古代の美術品などを見ることが出来るわけだね。

でも、古代ペルガモンの発掘品がここベルリンで静かな時を過ごしているのかと言えば、そうとも限らない。というのも、このゼウスの大祭壇などが発掘された小アジアの属するトルコが古代の発掘品の返還を要求しているからなんだ。

そんな話はベルリンのペルガモン博物館には限らないね。例えばイギリスの首都ロンドンにある大英博物館にも同じような話がある。アテネのアクロポリスにあるパルテノン神殿から持ち帰った美術品などを返還するようにとギリシャから要求されているんだそうな。

ところで、ここで残念なお知らせがある。このゼウスの大祭壇なんだけど、西暦2014年9月から修復の為に公開されていないんだそうな。再び公開されるのは西暦2020年頃と予定されているとか。ペルガモン博物館を訪れるつもりの方はご注意あれ。

ミレトゥスの市場門

ペルガモン博物館の展示品の最大の目玉はゼウスの大祭壇なんだろうけど、その他にも見るべきものがいくつもある。例えば、下の画像にあるミレトゥスの市場門。今はトルコ領となっている小アジアの古代都市ミレトゥスの市場あるいは広場の入口に築かれたものだそうな。古代ローマ皇帝ハドリアヌスの頃とされている。

ベルリンのペルガモン博物館で見たミレトゥスの市場門(ドイツ)

その後、ビザンティン帝国の皇帝ユスティニアヌスによって、市場門はミレトゥスの街の市壁に取り込まれた。街の守りを固める為だったとか。しかし、10世紀に起きた地震によって、この市場門は崩れ落ちてしまったんだそうな。

そんなミレトゥスの市場門が発掘されたのは西暦1903年のことだった。発掘品はベルリンに運ばれた。崩壊によって粉々になっていた門の石材は、このベルリンで再び組み上げられた。ドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム2世の命令だったそうな。

ドイツで崩壊前の姿を蘇らせたミレトゥスの市場門は、再び崩れ落ちることとなった。第二次世界大戦において連合国軍によるベルリン空襲の結果だった。平和が回復し、門の修復が終わったのは西暦1954年のことだったそうな。

バビロンのイシュタル門

更に下の画像は鮮やかな藍色が印象的なイシュタル門。一見したところではタイルのように見えるんだけど、彩色を施したレンガを焼いたもので飾られている。黄色い釉薬をかけて焼いたレンガで描かれているのは、ドラゴンやライオン、そして雄牛たちなんだそうな。

ベルリンのペルガモン博物館で見たバビロンのイシュタル門(ドイツ)

この門は古代バビロンの市壁に設けられたもの。紀元前575年に新バビロニアの王ネブカドネザル2世によって築かれたとされている。20世紀の初頭にバビロニアの故地であるイラクで発掘されている。

そんなイシュタル門の小型のレプリカをイラクに復元しようとしたのが、あのサダム・フセインだった。博物館の玄関として作りたかったらしい。でも、イラク戦争が勃発し、博物館は完成しなかったんだそうな。


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