東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「旧東ドイツの旅」

05. ポツダム宣言が発表されたツェツィリエンホフ宮殿

世界史の舞台となった小さな街 ポツダムに到着

昨夜はベルリン市内のホテルに泊まり、朝食を済ませた後、ツアーのバスに乗って出発。20分ほどで到着したのがポツダムの街だった。ポツダムはベルリンの南西 26kmほどのところにある。

ドイツ略図

この土地には古代からゲルマン人やスラヴ人が住んでいたらしい。14世紀の半ばには自治都市となっている。その後はプロイセン王やドイツ皇帝を輩出するホーエンツォレルン家のゆかりの街となっていった。

そんな歴史ある街ではあるけれども、ポツダムは地方都市に過ぎない。今でもその人口は16万人ほど。でも、第二次世界大戦末期の西暦1945年4月には大規模な空襲が行われたんだそうな。そしてベルリンにソ連軍戦車が突入して終戦を迎えた後、この小さな街が世界史の舞台となったんだ。

ポツダム会談の舞台となったツェツィリエンホフ宮殿

西暦1945年5月にドイツが降伏して2ヶ月あまりが経った7月、イギリスのチャーチル首相、アメリカのトルーマン大統領、ソ連のスターリン書記長などの連合国の首脳たちが集まった。その舞台がポツダムにあるツェツィリエンホフ宮殿(下の画像)だった。

ポツダム宣言が発表されたツェツィリエンホフ宮殿(ドイツ)

このポツダム会談においては、第二次世界大戦の戦後処理が討議された。ドイツの占領政策をどうするか、ドイツにいかなる賠償義務を課すべきか、ソ連・ポーランド・ドイツの国境をどう定めるか、東欧に残るドイツ人にどう対処すべきか、東欧などの統治を如何にすべきか、 ・・・ 。

ヨーロッパの戦後に関する事項に一定の結論が出された後、残るは戦いを続けている日本への対処だった。

ツェツィリエンホフ宮殿で発表されたポツダム宣言

太平洋を舞台に日本と戦い続けていたアメリカとしては、日本に軍を上陸させて戦いを続けた場合の甚大な損害を懸念していた。その損害を抑える為に日本との戦いに参加するようにソ連との交渉を行っていた。その結果、ポツダム会談が続いていた7月半ばにソ連が対日参戦を決めたらしい。(下の画像はツェツィリエンホフ宮殿の会議室。)

ポツダム宣言が発表されたツェツィリエンホフ宮殿の会議室(ドイツ)

他方、アメリカは日本がソ連の影響下に入ることを怖れていた。かくして、急ぎ日本に対して降伏を勧告することを求めたわけだ。その結果、7月26日に日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言が発表されたんだ。

しかしながら、アメリカは同時に原爆投下の準備を進めていた。というのも、アメリカは日本が降伏しないだろうと考えていたらしい。かくして日本がポツダム宣言に反応を示さずに日数が経過し、8月6日には広島に、8月9日には長崎に原爆が投下され、その同じ8月9日にソ連は日ソ中立条約を破棄して参戦している。

そして8月14日、御前会議においてポツダム宣言受諾が決定され、その日のうちに連合国に伝えられた。明けて8月15日、玉音放送によって降伏が国民に告げられたわけだ。

ドイツ帝国最後の皇太子

ところで、ポツダム宣言が発表されたツェツィリエンホフ宮殿(下の画像)なんだけど、第1次世界大戦が続く西暦1917年にドイツ帝国の最後の皇太子ヴィルヘルム・フォン・プロイセンの為に建てられたものだった。父である皇帝ヴィルヘルム2世が息子の為に建てさせた宮殿だった。

ポツダム宣言が発表されたツェツィリエンホフ宮殿の会議室(ドイツ)

しかし、宮殿が完成した翌年の西暦1918年、第一次世界大戦が続く中、ドイツで革命が起こった。紆余曲折の末、皇太子ヴィルヘルムは皇太子としての地位を失い、オランダへの亡命を余儀なくされた。真新しいツェツィリエンホフ宮殿での暮らしは1年しか続かなかったわけだ。

しかし、西暦1923年にはドイツに帰国し、ツェツィリエンホフ宮殿に戻っている。ところが皇太子ヴィルヘルムはイタリアのムッソリーニに共感を示し、更には帝政復活を示したヒトラーと連携したらしい。

そして西暦1945年の敗戦の後、ヴィルヘルムは第一次世界大戦の際の戦犯として拘束された。その6年後の西暦1951年、ヴィルヘルムは心臓発作によって亡くなっている。この世界史の舞台となったツェツィリエンホフ宮殿は、ドイツ帝国の最後の皇太子だった人物の浮き沈みの激しい人生の舞台でもあった。


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