東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「旧東ドイツの旅」

08. バッハとトーマス教会

ライプツィヒにやって来たバッハ

前のページにも書いたんだけど、西暦1723年にライプツィヒの旧市庁舎で契約書に署名したのがバッハだった。より正確には、ヨハン・セバスチャン・バッハ、または J・S・バッハ、あるいは短く大バッハ。バロック音楽を代表する作曲家だよね。

ライプツィヒのトーマス教会の前に立つJ・S・バッハ像(旧東ドイツ)

そのバッハが署名した契約書というのは、ライプツィヒにあるトーマス教会の音楽監督に就任するというものだった。上の画像に見えているのはライプツィヒに立つバッハの像、背後に見えるのは彼の職場となったトーマス教会の塔なんだ。

ちなみに、この教会の塔なんだけど、西暦1702年に完成したもの。でも、第二次世界大戦中の西暦1943年に連合国軍の空爆によって損傷を受けたらしい。戦争が終わって修復されたらしいけどね。

トーマス教会とバッハ

下の画像に見えるのが、バッハが音楽監督となったトーマス教会。西暦1496年にこの建物が完成したという歴史ある教会なんだそうな。

バッハゆかりのライプツィヒのトーマス教会(旧東ドイツ)

このトーマス教会には、西暦1212年に組織されたという歴史ある少年合唱団がある。教会の音楽監督であるバッハは、当然ながら少年合唱団の監督者でもある。のみならず、トーマス教会の音楽監督は実質的にライプツィヒの音楽に関する中心的な指導者だったらしい。

ところで、ドイツのロマン派の代表的な作曲家ワーグナーはこのライプツィヒの生まれだった。音楽家を目指していた十代のワーグナーは、このトーマス教会の音楽監督に指導を受けていたんだそうな。

ライプツィヒ時代のバッハ

トーマス教会の音楽監督(トーマス・カントルと呼ばれたらしい)となったバッハは、音楽家・作曲家として更なる活躍を見せたらしい。マタイ受難曲などいくつかの彼の代表作の初演は、このライプツィヒのトーマス教会で為されたんだそうな。また彼の主要な作品の多くはこの街で作曲されたとも言われている。

バッハゆかりのライプツィヒのトーマス教会の祭壇(旧東ドイツ)

西暦1736年にはザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世の宮廷作曲家となっている。西暦1747年にはプロイセン王フリードリヒ2世に拝謁している。というのも、バッハの息子の一人がチェンバロ奏者としてフリードリヒ2世に仕えていたからなんだそうな。

ライプツィヒで買ったバッハの伝記のミニチュア本

しかし、バッハの音楽活動も終わりに近づきつつあった。脳卒中に倒れ、更には視力も失っていった。かくして西暦1750年に亡くなっている。65歳だった。

ライプツィヒで買ったJ・S・バッハの伝記のミニチュア本(旧東ドイツ)

余談ながら、上の画像はライプツィヒで買ったバッハの伝記。といっても、上の画像に見えているペンのキャップと見比べればわかるように、とっても小さなミニチュア本なんだ。前のページで登場したゲーテファウストと同様にね。更に、ドイツ語で書かれているから、私には読めないんだ。

そうそう、大事なことを書くのを忘れていた。トーマス教会の前にはバッハ博物館がある。彼の自筆の楽譜などを見ることが出来るんだ。しかも、その売店ではバッハの作品のCDなどを買うことも出来る。

さて、この日の夜はライプツィヒのホテルで宿泊。夕食はオニオン・スープとサラダ、メインはポーク、デザートにアップル・パイ。樽から注がれるビールが美味くて飲みすぎてしまった。さすがはドイツだね。


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