東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「旧東ドイツの旅」

09. マイセン磁器

マイセン到着

ライプツィヒのホテルからツアーのバスに乗り込み、東へ向かって走ること 100kmほどでマイセンの街に到着。(下の略図を参照。)

ドイツ略図

このマイセンはさほど大きな街ではない。人口は 3万人にも満たないんだそうな。でも、古い歴史を持っている。元々はスラヴ系の人々が住んでいた。近くを流れる川は、スラヴ系の人々によってミズニ川と呼ばれていた。その名がマイセンへと変化したらしい。

やがてドイツ系の人々の住む集落となり、10世紀の後半にはマイセン辺境伯領が成立している。西暦1423年にはザクセン地方の名門貴族であるヴェッティン家のマイセン辺境伯がザクセン選帝侯となり、この街は選帝侯領の中心都市となっている。但し、西暦1464年に選帝侯はその首都をドレスデンに移しちゃったんだけどね。

マイセン磁器

17世紀のヨーロッパにおいては、中国や日本から輸入される磁器、特に白磁は高価で貴重な芸術品だった。そこでヴェッティン家アルブレヒト系のザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世は白磁の生産方法の研究を命じたんだ。(ちなみに、選帝侯は一時期ポーランド王を兼ねたこともあり、王としてはアウグスト2世と呼ばれている。)

そして西暦1709年、選帝侯に使える錬金術師が白磁の生産に成功した。その翌年、選帝侯は首都ドレスデンで磁器の生産を開始。しかし、間もなく磁器工場をマイセンに移転している。それが現在の国立マイセン磁器製作所となっているんだそうな。

マイセン磁器の生産の様子(旧東ドイツ)

というわけで、マイセンにやって来たならば、是非とも訪れたいのがマイセン磁器の博物館。中に入れば、上の画像のような工房の見学も出来る。過去の代表的な作品の展示を見ることも出来る。売店でマイセン磁器を買うことも出来る。

でもね、さすが高級品で名高いマイセン磁器。高価で手が出なかった。値札にローマ数字の2(つまり II )と記してあるのは傷か不具合のある2級品らしいけど、それでも安くて数万円。ちょいといいなと思えば十万円を越える。とっても気に入ったものは100万円。見るだけで終わってしまった。

マイセンの丘の上のアルブレヒト城

ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世がマイセン磁器の工場を設けたのは、街の丘の上に築かれたアルブレヒト城の中だった。そのお城が下の画像なんだけど、西暦1470年に築かれたという古いお城なんだそうな。

マイセンにあるアルブレヒト城(旧東ドイツ)

ところで、選帝侯の命に従って白磁の生産方法を見出した錬金術師ヨハン・フリードリヒ・ベドガーなんだけど、功労者として優雅な暮らしを送る ・・・ どころか、このアルブレヒト城に幽閉されていた。

というのも、マイセン磁器の生産方法は極めて重要な企業秘密だったからね。その秘密を知る人物を自由にしておけば、他国に白磁の生産方法が漏れてしまう。そうなれば、せっかく高値で売れる貴重な商品に競争相手が生まれてしまうよね。かくして幽閉された錬金術師はこのアルブレヒト城で亡くなったらしい。

マイセン磁器のクロスした2本の剣

でも、磁器生産の秘密を守ることができたのは、マイセンでの生産が始まって数年に過ぎなかった。やがてウィーンで、更にはヨーロッパ各地で磁器の生産が始まっていった。18世紀の後半に入ると、ヨーロッパ各地の数十社が磁器を生産していたそうな。

かくして独占を失い、多くのライバルたちとの競争に直面したマイセン磁器は、独自の商標をを定めた。それがクロスした2本の件のマークだった。その元になったのは、ザクセン選帝侯の紋章だったそうな。

マイセン磁器の商標の歴史(旧東ドイツ)

マイセン磁器を他の商品と区別するクロスした2本の剣のマークなんだけど、年とともに変化したらしい。その変化を示すのが、上の画像だ。磁器博物館で撮影したものなんだけどね。

時代と共に変化したのはマークだけではなかった。初期のマイセンは中国や日本の磁器の模倣に過ぎなかったらしい。でも、やがて独自の磁器を生み出していったんだそうな。ちなみに、中国製のものにあしらわれていたザクロなんだけど、ヨーロッパではザクロがあまり知られていなかったものだから、こちらではタマネギになってしまったそうな。ブルー・オニオンと呼ばれる青いタマネギのデザインは今でも使われている。

そんなマイセン磁器の生産には、今までに幾度かの危機があった。例えば七年戦争の最中の西暦1756年には、プロイセンのフリードリヒ2世がマイセンを占領している。彼は職人たちを連れ去り、ベルリンで磁器生産の工場を建てたらしい。

第二次世界大戦末期の西暦1945年にベルリンにソ連軍戦車が突入してドイツが降伏した後に開催されたポツダム会議においては、賠償の為にドイツの生産設備などがソ連に引き渡されることが定められた。かくして、マイセン磁器の生産設備もソ連に送られたらしい。(ちなみに、そのポツダム会議の結果、日本に対するポツダム宣言が発せられた。)

それでもマイセンでは磁器生産が再開された。但し、その会社の一部はソ連によって所有され、しかも生産された磁器の多くがソ連に送られたそうな。西暦1950年には会社の所有権は東ドイツに返還されたらしいけどね。そして西暦1989年にベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一された後、マイセン磁器を生産する会社はザクセン州によって所有されている。


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