ドレスデン到着マイセン磁器の博物館を見て歩いた後、バスに乗って出発。川沿いの曲がるくねった道を走る。お昼にはドレスデンに到着。まずは市内のレストランで昼食。サーモン、ジャガイモのスープ、最後にビーフ・シチュー。飲み物はビール。ここはドイツだからね。各地の美味いビールを堪能しなきゃ。ちなみに、シチューと一緒に出てきたジャガイモのお餅が美味しかった。家内によれば、生のジャガイモをすりおろし、小麦粉とまぜて団子にし、それを蒸したんじゃないかとのこと。五平餅ならぬ五平芋と名づけた。余談ながら、ドイツといえばジャガイモ料理が多いよね。そのジャガイモの栽培を広めたのが、サンスーシ宮殿を築いたフリードリヒ2世だったとか。おかげでドイツの食生活が改善されたそうな。
ところで、このドレスデンなんだけど、人口は50万人ほど。マイセンからは 25kmほど。チェコとの国境までは 30kmほどだとか。またこの街はザクセン州の州都なんだそうな。
エルベのフィレンツェとも称されたドレスデンこのドレスデンはエルベ川のほとりに発展した街なんだ。というわけで、エルベのフィレンツェとも称されたらしい。そんな街の水辺の風景が下の画像。このエルベ川の水運は、街の発展の基礎ともなったとか。
そんなドレスデンは、西暦1206年にはドレスデネという名で文書に登場している。西暦1464年にはヴェッティン家のザクセン選帝侯領の首都となっている。選帝侯は西暦1485年にはザクセン公となり、更に西暦1806年にはザクセン王となった。その間も首都であるこの街は発展を続けたわけだ。
ゼンパー・オペラザクセン王国の首都となったドレスデンにオペラ・ハウスが建設されたのが西暦1841年のこと。その設計者であるゴットフリート・ゼンパーの名から、ゼンパー・オペラと呼ばれた。西暦1843年からは名高いワーグナーがゼンパー・オペラの指揮者となった。彼の代表作の一つである「タンホイザー」などの初演の舞台はここだったそうな。(全くの余談ながら、白鳥城を築いたバイエルン王ルートヴィヒ2世はワーグナーの大ファンだったとか。)ところが、西暦1869年、ドレスデンの誇るゼンパー・オペラが火災によって焼け落ちてしまった。再びゴットフリート・ゼンパー、そして息子のマンフレート・ゼンパーによって再建され、西暦1878年に完成した。(下の画像は今のゼンパー・オペラの様子。)
そして第二次世界大戦の最中の西暦1945年2月、連合国の空軍機によるドレスデン爆撃が行われた。その爆撃の激しさは、街の建物の殆どが破壊され、10万人以上もの人々が亡くなるというものだった。その爆撃によって、ゼンパー・オペラも破壊されてしまった。その再建工事は西暦1977年に始まり、完成したのは西暦1985年のことだった。
聖十字架教会ドレスデン爆撃によって、ザクセンにおけるルター派の信仰の中心でもある聖十字架教会(下の画像)も炎に包まれたそうな。その修復が完了し、信者たちの礼拝が再開されたのは西暦1955年のことだった。
このドレスデンの聖十字架教会なんだけど、とっても長い歴史があるらしい。既に12世紀にはここに教会があったそうな。西暦1388年にはこの教会は聖十字架に奉られている。
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