東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「旧東ドイツの旅」

11. ザクセン王家のドレスデン

ザクセン王家の居城

西暦1423年、ヴェッティン家のマイセン辺境伯がザクセン選帝侯となった。その領地の首都がマイセンからドレスデンに移されたのは、西暦1464年のことだった。その後、ザクセンが公国から王国になっても、その首都はこの街だった。

ドレスデンにあるザクセン選帝侯家・王家ゆかりのレジデンツ城(東ドイツ)

そんなドレスデンにおいてザクセン選帝侯家・公家・王家の居城とされていたのが、上の画像にあるレジデンツ城だった。ここには12世紀から城砦があったらしい。その後、増改築が繰り返されて現在の姿になっている。このレジデンツ城の最も古い部分は14世紀にまで遡るんだそうな。

但し、西暦1945年2月の連合国軍による激しいドレスデン爆撃によってレジデンツ城はひどい損傷を受けた。戦後になって修復・再建された城を私たちは見ることが出来るんだけどね。

ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世

そんなザクセン王家の首都ドレスデンを作り上げた人物の一人が、下の画像に見えるザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世だった。彼の後継者たちはやがてザクセン王となる。でも、彼の時点ではまだ選帝侯なんだ。

ドレスデンにある君主の行列に描かれたザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世(東ドイツ)

但し、オスマン・トルコ軍によって包囲されたウィーンを救援したことで名高いポーランド王ヤン3世ソビエスキが亡くなった後、フリードリヒ・アウグスト1世はポーランド王位を継承している。ポーランド王としてはアウグスト2世と呼ばれているけどね。ちなみに、ポーランド王としての彼は、国を弱体化させたとされ、評価は高くないんだそうな。

ツヴィンガー宮殿

そんなザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世は、選帝侯となる前の若い頃にイタリアやフランスを旅したらしい。そこで彼に深い印象を残したのが、フランス王ルイ14世が築いたヴェルサイユ宮殿だった。

ドレスデンにあるザクセン選帝侯家・王家ゆかりのツヴィンガー宮殿(東ドイツ)

やがてザクセン選帝侯となった彼が首都ドレスデンに造営したのが、上の画像にあるツヴィンガー宮殿だった。フリードリヒ・アウグスト1世は宮殿の建築を担当する設計士をフランスに派遣し、ヴェルサイユ宮殿を見学させている。かくしてツヴィンガー宮殿は西暦1719年に完成している。

以後、この建物はザクセン公家・王家の誇るバロック様式の宮殿となったわけだ。但し、第一次世界大戦末期の西暦1918年のドイツ革命によってザクセン王家は王位を失い、ツヴィンガー宮殿の主ではなくなってしまった。そして西暦1945年のドレスデン爆撃はこの宮殿にも大きな被害をもたらしたそうな。その修復が終わったのは西暦1963年のことだった。

ついでながら、このザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世は、マイセン磁器の生産方法を確立させた人物でもある。当時のヨーロッパでは白磁の生産方法が知られておらず、中国や日本から輸入された白磁が貴重な品とされていたんだそうな。

その他にもフリードリヒ・アウグスト1世はいくつものバロック式の宮殿を建て、様々な芸術作品を収集し、音楽をも愛好したらしい。他方で彼はとんでもない怪力の持ち主でもあり、アウグスト強王とも呼ばれていた。そんな彼には三百数十人もの子どもがいたそうな。

君主の行列

ところで、二つ上の画像はフリードリヒ・アウグスト1世の騎馬像なんだけど、実はツヴィンガー宮殿の厩舎中庭の外壁にある「君主の行列」(下の画像)の一部なんだ。

ドレスデンにあるザクセン選帝侯家・王家ゆかりの「君主の行列」(東ドイツ)

この君主の行列は、あのマイセン磁器のタイルを以て、マイセン辺境伯家からザクセン王家に至るヴェッティン家の35人の君主たちを描いたもの。元々は絵画として描かれたんだけど、それをマイセン磁器に置き換えたんだそうな。完成したのは西暦1907年のこと。

それから11年後の西暦1918年にはドイツ革命によってザクセン王家は王位を失っている。そんなわけで、最後のザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世はこの君主の行列には描かれていないんだ。彼こそはこの君主の行列を完成させた人物なんだけどね。

ちなみに、この街の大部分を破壊した西暦1945年のドレスデン爆撃なんだけど、幸いなことに君主の行列は殆ど無傷だった。というわけで、修復・再建されたものの多いドレスデンの建物などとは違って、君主の行列に限ってはオリジナルに近い姿を見ることが出来るわけだ。

ついでながら、この君主の行列には2万3千枚ものマイセン磁器のタイルが使われている。仮に1枚が2万円として全部で4億6千万円。いや、1枚を10万円とすれば、23億円か。いずれにせよ、検討もつかないね。


ケルン経由でロンドン

というわけで、ドレスデンの中心部を歩いて見て廻った。これで今回の旅の観光も終わりだな。最後にドレスデンの街で見かけたマイセン磁器の店に入ったんだけど、やはり高い。マイセンで入った磁器博物館のショップの方が1割ほど安かったみたい。

ドレスデン空港には3時過ぎに到着。ここから国内線の飛行機に乗り、ケルンまで飛ぶ。ケルン空港に着陸したのが5時半。ここで一旦ゲートを出て、出国の手続きを済ませる。6時過ぎに国際線の飛行機で出発。しかし、2泊3日の短い旅であれこれ見て廻ったもんだ。さすがにツアーの旅は個人旅行とは違うね。

やがてロンドン郊外のヒースロー空港に到着。タクシーで帰宅。ケルンからロンドンまでのルフトハンザの機内食が物足りなかったものだから、自宅でご飯を炊き、海苔と漬物で夜食にしたよ。さて、明日からは仕事だ。お昼は久々のイングリッシュ・ブレックファストにしよう。

旧東ドイツ関係の歴史年表いろいろ

この旅行記「旧東ドイツの旅」に関係する歴史年表をまとめてみたんだ。興味があれば読んでみてね。


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