東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「旧東ドイツの旅」

c1. ベルリン略年表

ベルリン略年表

  • 1237年、ベルリンとケルンという川べりの小さな集落が文書に登場。この二つの集落が後に一つになり、今のベルリンに発展していく。

  • 13世紀、今のベルリンとなる小さな集落は、アスカニア家のブランデンブルク辺境伯に支配されていた。

  • 14世紀初、二つの小さな集落が合併し、ベルリンと呼ばれるようになった。

  • 1448年、ホーエンツォレルン家のブランデンブルク辺境伯の宮廷がベルリンに置かれた。

  • 1699年、シャルロッテンブルク宮殿の建設が始まった。

  • 1701年、プロイセンが王国となり、ベルリンがその首都とされた。プロイセンが王国に昇格できたのは、スペイン継承戦争においてハプスブルク家の側に立って参戦したことに対する見返りだった。

  • 1734年、ベルリンを取り囲む要塞の取り壊しが命じられた。但し、代わりに市を取り囲む関税壁の建設が始められている。

  • 1756年、七年戦争においてプロイセン軍がマイセンを占領し、マイセン磁器の職人たちをベルリンに移したことにより、ここで磁器の生産が始まった。

  • 1760年、七年戦争においてロシア軍がベルリンを占領した。

  • 1788年、ブランデンブルク門の建設が始まった。その完成は3年後の1791年のことだった。

  • 1806年10月27日、ナポレオンのベルリン入城フランス皇帝ナポレオンは、ベルリンのシンボルとも言えるブランデンブルク門から入城した。以後、プロイセン王国は内政・軍制改革を進め、やがて西暦1814年にはフランス皇帝ナポレオンを没落させることに成功した。

  • 1810年、ベルリン大学(現在のフンボルト大学)創立。

  • 1848年3月18日、ベルリンで革命が成功。しかし、翌年には反革命が成功。

  • 1871年、普仏戦争におけるフランスの敗北後のドイツ帝国の成立と同時に、ベルリンはその首都となった。

  • 1873年、日本の岩倉使節団がベルリンを訪問した。

  • 1891年、ヴィルヘルム皇帝記念教会の建設が始まった。

  • 1905年、今のベルリン大聖堂が完成した。

  • 1930年、ペルガモン博物館が完成した。

  • 1936年、ベルリン・オリンピック。

  • 1943年、空襲によりヴィルヘルム皇帝記念教会が破壊された。同様にシャルロッテンブルク宮殿も大きな被害を受けている。

  • 1945年4月30日、ソ連軍戦車がベルリンに突入。ヒトラーは自殺。間もなくドイツが降伏した。

  • 1948年から1949年、西ベルリン封鎖。

  • 1953年6月17日、東ベルリンで労働者が蜂起。しかし、ソ連軍により鎮圧された。

  • 1961年8月13日、ベルリンの壁の建設が始まった。

  • 1989年11月4日、ベルリンで100万人の民主化集会が開催された。

  • 1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊した。翌年には東西ドイツの統合に至る。


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