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東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
旅行記「旧東ドイツの旅」
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マイセン略年表
- 928年頃、ザクセン朝のドイツ王ハインリヒ1世がマイセンに城砦を築いた。
- 965年、神聖ローマ帝国皇帝オットー1世(大帝)がマイセン辺境伯領を設置。以後、マイセンはスラヴ地域へのドイツ人の進出とキリスト教化の基点となった。
- 968年、オットー1世がマイセンに司教区を設けた。
- 1089年、マイセン辺境伯領が、ザクセンの有力貴族ヴェッティン家に帰属した。
- 1332年、マイセンが自治都市となった。
- 1423年、にはマイセン辺境伯がザクセン選帝侯となった。マイセンの街は選帝侯領の中心都市となっている。
- 1464年、ザクセン選帝侯がその首都をドレスデンに移した。
- 1471年、マイセンにアルブレヒト城が築かれた。
- 1559年、マイセンが宗教改革を受け入れた。
- 17世紀後半、清朝支配下の中国が鎖国政策を採った為に、ヨーロッパで人気の高かった中国製陶磁器の入手が困難となった。
- 1705年、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世(ポーランド王としてはアウグスト2世)の命により、ヨハン・フリードリヒ・ベドガーがアルブレヒト城内で磁器生産の実験を始めた。
- 1709年、ベドガーがマイセン磁器生産の方法を確立。
- 1710年、アルブレヒト城内にザクセン選帝侯の磁器製作所が建設された。
- 1720年、マイセンにおいて、日本の柿右衛門風の磁器の生産が始まった。
- 1722年、マイセンの磁器にクロスした2本の剣が青く描かれるようになった。
- 1739年、東洋の影響を受け、青いタマネギ模様が取り入れられた。実は中国製の時期にはザクロが描かれていたんだけど、当時のヨーロッパではザクロはさほど知られておらず、タマネギになってしまったんだそうな。
- 18世紀半ば、ヨーロッパの先頭を切って、マイセンでロココ風の陶磁器の生産が始まった。
- 1756年、七年戦争においてフリードリヒ2世(サン・スーシ宮殿で名高い)のプロイセン軍がマイセンを占領。磁器職人を連れ帰り、ベルリンで磁器生産が始まった。
- 1759年、オーストリア軍がマイセンの戦いでプロイセン軍に勝利。
- 18世紀後半、イギリスのウェッジウッドがマイセンの磁器市場を脅かした。
- 1945年、ドイツの敗戦に伴ない、ソ連がマイセンの工場を接収した。
- 1950年、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の成立の翌年、ソ連がマイセンの工場の所有権を返還した。
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