東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「旧東ドイツの旅」

c4. ドレスデン略年表

ドレスデン略年表

  • 1206年、ヴェッティン家のマイセン辺境伯領の一画にあるエルベの川岸にドイツ人が集落を作り始めた。その集落はドレスデネと呼ばれた。それが後にドレスデンとなった。

  • 1403年、ドレスデンが自治都市となった。

  • 1423年、ヴェッティン家のマイセン辺境伯フリードリヒ1世がザクセン選帝侯となった。

  • 1464年、ザクセン選帝侯がその首都をマイセンからエルベ川のほとりのドレスデンに移した。

  • 1485年、ヴェッティン家がエルンスト系とアルブレヒト系とに分裂。アルブレヒト系のヴェッティン家の宮廷はドレスデンに置かれた。但し、ザクセン選帝侯位はエルンスト系が保持した。余談ながら、エルンスト系の分家であるザクセン・コーブルク・ゴータ家のアルバート公は大英帝国のヴィクトリア女王と結婚し、エリザベス女王(2世)はその子孫にあたる。

  • 1539年、宗教改革を支持。

  • 1547年、シュマルカルデン戦争において神聖ローマ帝国の皇帝カール5世の側に立ったザクセン公モーリッツは、皇帝側の勝利の後に選帝侯の位を与えられ、彼の宮廷が置かれていたドレスデンがザクセン選帝侯領の中心地となった。

  • 1694年、後にマイセンの磁器生産を始めることになるフリードリヒ・アウグスト1世がザクセン選帝侯となり、彼の首都であるドレスデンは全盛期を迎えた。

  • 1697年、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世がロ−マ・カトリックに改宗した。ポーランド王位を得るための改宗だった。ポーランド王としての彼は、アウグスト2世と呼ばれている。

  • 1711年、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世の命によって、ツヴィンガー宮殿の建設が始まった。その設計士は選帝侯によってパリ郊外のヴェルサイユ宮殿の見学に派遣されている。

  • 1745年、ドレスデンの和約が成立。ハプスブルク家のマリア・テレジアの夫フランツの皇帝即位を認めることを条件に、プロイセンによるシュレジェン領有が認められた。しかし、プロイセン王フリードリヒ2世は再び戦いを再開し、オーストリア継承戦争は更に続いた。

  • 1806年、フランス皇帝ナポレオンによる神聖ローマ帝国の解体に伴ってザクセン王国が成立し、ドレスデンは王国の首都となった。

  • 1841年、ゼンパー・オペラが完成。

  • 1843年、作曲家ワーグナーがゼンパー・オペラの指揮者となった。彼の代表作の一つである「タンホイザー」の初演は、1845年にこのゼンパー・オペラで行われている。

  • 1869年、ゼンパー・オペラが火災によって焼け落ちた。その再建工事が完成したのは1878年のこと。

  • 1907年、2万3千枚ものマイセン磁器のタイルで描かれた「君主の行列」が完成した。

  • 1945年、連合国軍によるドレスデン爆撃。ドレスデンが大空襲により壊滅した。この空襲により10万人以上もの人々が命を失い、多くの歴史的建造物が破壊された。ソ連軍戦車がベルリンに突入したのは、その数ヶ月後のことだった。


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