東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「旧東ドイツの旅」

h1. ドイツの成立 9世紀まで

略年表 ドイツの成立 9世紀まで

  • 紀元前5世紀頃、ゲルマン民族の祖先はスウェーデン南部・ユトランド半島・ドイツ北部に定住していた。

  • 紀元前2世紀、ゲルマン民族の一部が移動を開始した。

  • 紀元前80年、キンブリ族とテウトニ族がガリアに侵入した。その頃、イタリアのローマから発して勢力を拡大しつつあった古代ローマ帝国が、ガリア(今のフランス)にも進出しようとしている時期だった。

  • 紀元前71年、スエビ族がライン川の上流からガリアに侵入したが、古代ローマ帝国のカエサルによって撃退された。スエビ族はゲルマン系とされるが、ケルト系とする説もある。

  • 西暦9年、古代ローマの総督クインテリウス・ヴァルスが、トイトブルクの森でアルミニウスの率いるケルスキ族と戦い、大敗を喫した。ケルスキ族はゲルマン系とされるが、そのリーダーであるアルミニウスはローマ軍に属していたこともあり、ローマの市民権も持っていたらしい。この大敗により、古代ローマ帝国のゲルマニア(今のドイツ)への侵出が阻まれた。

  • 西暦90年、全長548kmにおよぶリーメスの防衛線が、古代ローマ帝国によってライン川とドナウ川との間で建設され始めた。ゲルマン人の帝国領内への侵入を阻止する為のものだった。余談ながら、リーメスは英語のリミットの語源とされている。

  • 西暦122年、古代ローマ帝国皇帝ハドリアヌスによって、ブリテン島にハドリアヌスの城壁の建設が始まった。その工事の完了によってリーメスの防衛線が完成した。

  • 西暦366年には、凍りついたライン川を越えたゲルマン系アレマン人が大挙してアルザス地方になだれ込んで来たらしい。その侵入は古代ローマ帝国軍によって押し返された。

  • 西暦375年、フン族に圧迫されたゴート族が移動を始め、ゲルマン民族大移動の引き金がひかれた。

  • 西暦405年、侵入してきた西ゴート族からイタリアを防衛する為、アルザス地方に駐屯していた古代ローマ帝国の軍団がイタリアに移動。

  • 西暦406年、防衛の為の軍団がいなくなったアルザス地方にゲルマン系アレマン人が侵入。

  • 西暦476年、ゲルマン系の傭兵隊長オドアケルによって、西ローマ帝国が滅ぼされた。

  • 西暦539年、バイエルン族がフランク王国に服属した。

  • 西暦719年、聖ボニファティウスがドイツにキリスト教の伝道を始めた。後に彼は「ドイツ人の使徒」と呼ばれ、ドイツの守護聖人とされている。

  • 西暦772年、カール大帝のフランク王国がザクセンに侵攻した。しかし、ウィドゥキントの率いるザクセン族の人々はフランク王国軍に激しく抵抗した。

  • 西暦785年、ザクセン族のウィドゥキントがフランク王国に降伏。

  • 9世紀初、カール大帝のフランク王国が、ザクセン族・アレマンネン族・バイエルン族・ランゴバルド族などのゲルマン諸族を支配下に入れていた。

  • 843年のヴェルダン条約と870年のメルセン条約によりカール大帝の帝国が三分割され、後にドイツの母体となる東フランク王国が成立。


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