東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「旧東ドイツの旅」

h5. ドイツ帝国 19世紀から20世紀初

略年表 ドイツ帝国 19世紀から20世紀初頭

  • 1834年、ドイツ関税同盟成立。ドイツ連邦に属する39の領邦のうち、28カ国が参加した。ドイツの経済的な統一の基礎を作ることにより、政治的な統一への道を拓いた。

  • 1838年、プロイセン王国の首都ベルリンとポツダムとの間に鉄道が開通した。ポツダムにはフリードリヒ2世(大王)が造営したサン・スーシ宮殿があった。

  • 1839年、ライプツィヒとドレスデンとの間に鉄道が開通した。

  • 1848年3月18日、ベルリンにおいて革命が成功した。プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世は、軍をベルリンから撤退させて市民たちとの衝突を回避した。しかし、革命勢力は内部の対立により翌年には崩壊し、反動勢力が権力を奪還している。

  • 1850年、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世によって欽定憲法が発布された。

  • 1861年、プロイセン王ヴィルヘルム1世が即位。

  • 1862年9月23日、パリ駐在大使だったオットー・フォン・ビスマルクが、プロイセン王ヴィルヘルム1世によって首相に任命された。やがて彼は「鉄血宰相」と呼ばれる。

  • 1864年、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争において、デンマークがプロイセン・オーストリアに敗北。

  • 1866年6月21日、ヘルムート・モルトケ指揮下のプロイセン軍がハプスブルク家支配下のボヘミアに侵入。普墺戦争が始まった。

  • 1866年7月3日、ケーニッヒ・グレーツの戦いに於いて、プロイセン軍がオーストリア軍に圧勝。

  • 1866年8月23日、プラハにおいてプロイセンとオーストリアとの間に講和が成立した。以後、ハプスブルク家のオーストリアはドイツから排除された。

  • 1870年7月19日、皇帝ナポレオン3世のフランスがプロイセンに宣戦を布告した。しかし、参謀総長モルトケ指揮下のプロイセン軍がフランス軍を圧倒し、皇帝ナポレオン3世も捕えられた。

  • 1871年1月1日、太陽王ルイ14世ゆかりのヴェルサイユ宮殿の鏡の間において、プロイセン王ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝に即位、ドイツ帝国が成立した。これらの戦役での勝利を記念して、ベルリン市内に戦勝記念塔が建立された。

  • 1871年5月、プロイセンとフランスとの間に講和が成立した。フランスは巨額の賠償金を支払い、またアルザス・ロレーヌ地方はドイツの領有するところとなった。(これを題材にドーデは「最後の授業」を書いた。)

  • 1873年、欧米諸国を歴訪中の岩倉使節団がベルリンに滞在した。

  • 1876年、プロイセン銀行がドイツ帝国の中央銀行となり、ドイツ帝国銀行と改称された。

  • 1878年5月11日、ドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム1世に対する最初の暗殺未遂事件が発生。続いて6月2日には二度目の暗殺未遂事件が起こり、皇帝が重体に陥った。帝国首相ビスマルクは議会の解散・総選挙を行った上で社会主義者鎮圧法を成立させた。

  • 1888年、皇帝ヴィルヘルム1世が亡くなった。後継者のフリードリヒ3世も即位後3ヶ月あまりで亡くなり、ヴィルヘルム2世がドイツ帝国の皇帝となった。

  • 1890年3月18日、ビスマルクがドイツ帝国の首相を辞任。実質的には、対立していた皇帝ヴィルヘルム2世による更迭であった。

  • 1891年、ヴィルヘルム皇帝記念教会の建設が始まった。

  • 1905年、ベルリン大聖堂が完成。

  • 1905年、皇帝ヴィルヘルム2世がモロッコのタンジールを訪れ、第1次モロッコ事件(タンジール事件)が発生。

  • 1911年、モロッコでの内乱に対してフランス軍が出兵。他方でドイツは砲艦をアガディールに派遣し、第2次モロッコ事件(アガディール事件)が発生。二度のモロッコ事件により、ドイツ帝国とフランスとの対立が深まっていった。他方でフランスとイギリスが接近し、ドイツ帝国は次第に孤立し始めることとなった。ビスマルクが怖れていたことが現実のものとなりつつあった。

  • 1914年、第一次世界大戦が勃発。オーストリアと同盟関係にあったドイツ帝国はフランスに対して宣戦。やがてイギリスもドイツに対して開戦し、戦火が一気に拡大していった。

  • 1917年、ベルリン近郊のポツダムにツェツィリエンホフ宮殿が建てられた。ドイツ帝国の最後の皇太子となるヴィルヘルム・フォン・プロイセンの為の宮殿だった。ちなみに、西暦1945年にはこの宮殿においてポツダム宣言が発せられている。

  • 1918年11月、ドイツ革命によって帝国は崩壊。皇帝ヴィルヘルム2世はオランダに亡命した。帝国内で存続していたプロイセン王国(国王は皇帝が兼務)、バイエルン王国、ザクセン王国などの君主制も崩壊している。


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