東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

モン・サン・ミシェル と サン・マロ
(フランス)


1995 年 5 月
p. 8/11


8. サン・マロ

サン・マロの城壁 モン・サン・ミシェルからバスで 30 分。ブルターニュの港町 サン・マロに到着。街全体が城壁に取り囲まれた要塞都市だ。(右の画像)

サン・マロという名前は、ウェールズ人の修道僧聖マクロウ St. Maclow に由来すると言われている。彼は 6 - 7 世紀に、このあたりにやって来た。

しかし、サン・マロといえば、要塞都市として名高い。

要塞都市サン・マロ

フランスを救った少女ジャンヌ・ダルクで有名な百年戦争の時期には、イングランドと結んだブルターニュ公に従わず、フランス王の側についている。その結果、サン・マロはブルターニュ公の攻撃を何度も受けている。

新旧両教徒が戦いを続けた 16 世紀後半には、サン・マロは後のフランス王アンリ4世の率いる新教徒の側についていた。それが旧教徒側の攻撃を招いた。

17 世紀末から 18 世紀にかけては、イングランドの攻撃を受けている。著名なフランスの築城家であるヴォーバンが、サン・マロの防備を固めたのもその頃だ。

1758 年にはイングランド軍が 2 度にわたって上陸作戦を展開したが、サン・マロは陥落しなかった。




サン・マロの海側の城壁 海側の城壁の外には砂浜が広がっている。(右の画像)

港町サン・マロ

サン・マロは海を背景に発展した港町だった。

街が拡大を始めたのは、 12 世紀の頃。集まってきたのは、商人、船主、水夫、そして私掠船(要は王様公認の海賊船)の乗組員達だった。

更に 17 - 18 世紀。サン・マロは、インド・中国・アフリカ・アメリカとの貿易で栄えたのだそうな。

さっきまで空を覆っていた雲が、風に流され始めた。おかげで城壁から見る海の色も明るくなってきた。(下の画像)

サン・マロの海

バスに乗り、サン・マロを後にする。レンヌの駅で TGV に乗り込んだのが 6 時過ぎ。パリのモンパルナス駅に到着した時には、 8 時を回っていた。

今夜の宿はスクリブ・ホテル。非常に良いホテルだ。設備も良いし、従業員の応対もきびきびしている。しかも、オペラ座の横という場所が良い。

パリ市内の店で寿司を食べた。ヨーロッパの都市の中では、パリの日本食は群を抜いているという評判だ。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索



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