ゴルド、岩山の上の村と城話をちょいと戻す。今朝、エクサン・プロヴァンス(エクス)市内のホテルを出て、セナンク渓谷に向かう途中で、運転手さんがバスを停めてくれた。そこで撮影したのが下の画像。ゴルドという岩山の上の村。その頂点には城も見えている。
それからセナンクの修道院とラヴェンダーの花を見て、再びバスに乗ってやってきたのが、さっき見た岩山の上の村ゴルドというわけだ。
ゴルドの城岩山の上のゴルドの村の広場にバスが停まった。今から自由時間だそうな。ゴルドの村を散歩する時間だ。まずはその頂点にある城(下の画像)から見て歩こう。
岩山の上のゴルドの村に城が築かれたのは、西暦1031年のことだった。その後、1123年にゴルドの城は強化された。そんな城に塔が築かれたのは14世紀前半のことだった。その後も城には手が入れられ、中には16世紀半ばの暖炉もある。
岩山の上のゴルドの村の歴史このゴルドの村は、城よりも古い歴史を持っているんだそうな。そもそもの村の始まりは、古代ケルト系の人々の集落だった。その後、イタリアのローマから進出してきて、エクサン・プロヴァンス(エクス)の街を築いた古代ローマ帝国の支配下に入った。その古代ローマ人の神殿跡に修道院が築かれたのは8世紀。でも、その修道院はイベリア半島を征服したイスラム教徒によって打ち壊されたらしい。この村に城が築かれたのは、その後のことだった。 ちなみに、その時期にイスラム教徒は今のフランス南部各地を襲撃している。例えばニースよりもイタリア寄りにあるモナコ公国もこの時期にイスラム教徒に襲われているんだ。そんなイスラム教徒をプロヴァンス地方から西暦973年に駆逐したのが、プロヴァンス伯ギョーム1世だったそうな。 そんな長い歴史を持つゴルドの村の路地(下の画像)は、まるで迷路だった。でも、ところどころに土産物屋さんがあるんだ。そんなお店で家内が買ったのは様々な布地だった。プロヴァンスは面白いデザインの布地の宝庫らしい。
中世のゴルドの村は、フランス王からは独立したプロヴァンス伯の支配下にあった。そんなゴルドの村は、時にフランス王とプロヴァンス伯との間の争いに巻き込まれたんだそうな。その為、西暦1258年にはプロヴァンス伯がゴルドの村に兵士たちを置いて守りを固めている。
芸術家たちが住んだゴルドの村そんなさびれた岩山の上の村ゴルドに光が当たったのが西暦1947年だった。あのロシア出身の画家マルク・シャガール(フランス南部のニースにシャガール美術館がある)がゴルドの村を気に入り、仲間の芸術家たちを連れてくるようになった。それからゴルドの村には、芸術家たちが住み着くようになったらしい。その後、お金持ちたちもゴルドの村に別荘を建てるようになったんだそうな。
といっても、このゴルドの村の中を歩き回っているのは、私たちのような観光客ばかりなんだってさ。お金持ちたちの別荘は、村の中ではなく、その周囲にあるんだそうな。
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