東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
「グレンコーの悲劇」
ジャコバイト
1688 年、スチュワート家の王ジェームズ 2 世(スコットランド王としてはジェームズ 7 世)が廃位され、オレンジ公ウィリアムが王位を得た。
王位回復を目指すスチュワート家。スコットランドのクランの一部はスチュワート家を支持してジャコバイトと呼ばれたが、ウィリアム 3 世の政府を支持してウィリアマイトと呼ばれたクランも少なくなかった。
スコットランドにおいてウィリアム 3 世を支持したのは、一般的にはローランドのプロテスタント(後に「長老派」と呼ばれる新教の一派を支持する人々)だった。他方、ハイランドでは、カトリックを支持するクランが多かった。
1689 年のボニー・ダンディーの反乱の際にハイランドの勢力に苦戦した政府軍は、ハイランドのクランを放置しておくことが出来ないと考えた。
忠誠の誓い
ウィリアム 3 世の政府でスコットランド問題を担当していたジョン・ダルリンプルは、全てのハイランドのクランの長に対して、ウィリアム 3 世への忠誠を誓うように要求した。
指示に従い、グレンコーに住むマクドナルド一族(分家)の長マクイアンは、フォート・ウィリアムに出頭した。
ところが、彼が忠誠を誓うべき場所はフォート・ウィリアムではなくインヴェララリーであり、そちらへ向かうようにと政府の役人は言う。しかし、冬のさなかのこと。マクイアンが宣誓の場所に辿り着いたときには、宣誓の期限を過ぎてしまった。
(フォート・ウィリアムへ行くようにという当初の指示は、マクイアンを陥れようというジョン・ダルリンプルの罠だったとする説もある。)
ある任務
マクイアンの宣誓を受けるべき地方判事自身も、約束の期限までに到着することが出来なかった。判事はマクイアンよりも遅れて現地に到着したほどである。そして、マクイアンのウィリアム 3 世に対する忠誠の誓いは、期限を数日過ぎた日付のものとなった。
ジョン・ダルリンプルは、期限に遅れたマクイアンの忠誠の誓いは無効だと判断した。彼は、ロバート・キャンベルに「任務」を与えた。
(ダルリンプルは、スチュアート朝時代にジェームズ 2 世と親しくなり、その治世下で頭角を現している。当時のダルリンプルはカトリックだった。
しかし、ジェームズ 2 世が廃位され、新教徒のウィリアム 3 世の治世が始まると、ダルリンプルは新教に鞍替えしている。彼の人柄は定かではないが、少なくとも馬鹿を見るような正直者ではなさそうだ。)
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