東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「エーゲ海の旅(ギリシャ)」

11. ロードスのマンドラキ港

マンダラキ港と太陽神ヘリオスの巨像

ロードス島で泊まっているホテルからタクシーに乗り込み、10分ほどでやって来たのがロードスの街。ちょいとややこしいんだけど、ロードス島の中心となる街の名前もロードスなんだ。島の北端の近くにある。

そのロードスの街で最初に歩いたのが、マンドラキ港(下の画像)だった。現代に生きる私たちの眼から見れば小さな港だよね。でも、かつてこの島を支配した聖ヨハネ騎士団(ホスピタル騎士団あるいは後にはマルタ騎士団)が軍港として使った港だった。ここから出撃した騎士団のガレー船が、イスラム教徒の船を襲ったわけだ。

ロードスの街のマンドラキ港(騎士団時代の軍港)の入口(ギリシャ)

ところで、上の画像にも見えているんだけど、マンドラキ港の入口の向こう側とこちら側の円柱の上に鹿の像が立っている。そこにはかつて太陽神ヘリオスの巨像が立っていたんだそうな。港の入口をまたぐように立っていたと言われる巨像の身長は30メートル以上もあったとか。そんな太陽神ヘリオスの巨像は、世界の七不思議の一つだったらしい。

あの名高いアレクサンダー大王が亡くなった後、彼の臣下たちが争っていた。ロードスはエジプトのプロレマイオス朝を支持していたんだけど、そんなロードスに侵攻してきたのがマケドニアのアンティゴノス朝だった。しかし、エジプトの支援を得たロードスはマケドニアの侵攻に打ち勝つことができたんだそうな。

その勝利を記念して建てられたのが太陽神ヘリオスの巨像だった。その完成は紀元前284年のこと。ちなみに、巨像を制作したリンドスのカレスなる人物は、アレクサンダー大王に仕えていたリュシッポスの弟子だったそうな。その後の太陽神ヘリオスの巨像なんだけど紀元前226年には地震によって倒壊し、西暦7世紀には巨像の残骸も売却されてしまったとか。

マンドラキ港から眺めた騎士団長宮殿

古代には太陽神ヘリオスの巨像が立っていたマンドラキ港なんだけど、中世には聖ヨハネ騎士団の軍港となっていた。そんなマンドラキ港からは、ロードスの街の中にある騎士団長宮殿(下の画像)を遠望することも出来るんだ。騎士団長たちはイスラム教徒と戦うガレー船がここから出撃していくのを宮殿から見送ったんだろうか。

ロードスの街のマンドラキ港(騎士団時代の軍港)から遠望した騎士団長宮殿(ギリシャ)

とはいえ、西暦1522年のオスマン・トルコ軍によるロードス島侵攻によって騎士団は島を失い、西暦1530年にはマルタ島を本拠としている。そして、西暦1565年のグレート・シージの翌年から建設が始まった要塞都市ヴァレッタ(今のマルタ共和国の首都)にも、聖ヨハネ騎士団の騎士団長宮殿が残っているんだ。

アギウ・ニコラウ(聖ニコラス)城砦

そんなマンドラキ港の東側の突堤の先端の様子が下の画像。見えているのはアギウ・ニコラウ(あるいは聖ニコラス)城砦。言うまでもなく、軍港の守りを固める城砦だよね。

ロードスの港を守るアギウ・ニコラウあるいは聖ニコラス城砦(ギリシャ)

マンドラキ港を守るアギウ・ニコラウ(聖ニコラス)城砦の建設が始まったのは西暦1464年のこと。その後、西暦1480年にオスマン・トルコのメフメト2世がロードス島に侵攻してきた。そのオスマン・トルコ軍の侵攻を撃ち破った後、この城砦は更に強化されたんだそうな。

マンドラキ港の風車小屋

そんなロードスのマンドラキ港の脇に立つのが、下の画像に見る風車小屋。残念ながら、建設された時代がいつなのかはわからなかった。でも、かつてはロードスに住む騎士たちや島民たちの為に製粉に使われていたのかもね。

ロードスの街のマンドラキ港(騎士団時代の軍港)の脇にある風車小屋(ギリシャ)

そんな風車小屋からの眺めがお勧め。マンドラキ港、そしてロードスの街を取り囲む城壁などを眺めるのに最適の場所なんだ。さて、次はロードスの城壁、聖ヨハネ騎士団の騎士たちとオスマン・トルコ軍の兵士たちとの戦いの舞台となった城壁を見に行くかな。


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