東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「エーゲ海の旅(ギリシャ)」

12. ロードスの城壁

ロードスの街の城壁(海側)

ロードスの街に到着し、聖ヨハネ騎士団によって軍港として使われたマンドラキ港を見て歩いたんだけど、その南東には商港として使われたコロナ港がある。そのコロナ港から眺めたロードスの城壁が下の画像だ。

ロードスの街の海側の城壁(ギリシャ)

前のページでも書いたんだけど、アレクサンダー大王の死後の争いの時代にマケドニア軍がロードス島に侵攻してきた。その時点でロードスの街は城壁によって守られていたらしい。但し、その城壁は紀元前226年の地震(マンドラキ港にあった太陽神ヘリオスの巨像を破壊した地震)によって崩壊したらしい。もちろん、城壁は再建されたらしいけどね。

そして西暦1308年にロードス島を制圧した聖ヨハネ騎士団は、本拠としたロードスの街を取り囲む城壁を強化していったらしい。それが功を奏し、西暦1440年のエジプトのマムルーク軍による侵攻、西暦1480年のオスマン・トルコ軍による侵攻に打ち勝つことが出来たわけだ。でも、結局は西暦1522年のオスマン・トルコ軍の侵攻によって騎士団は島を失うことになったんだけどね。

セント・ポール門からロードスの城壁の中へ

さて、海側からロードスの城壁を眺めた後は、セント・ポール門(下の画像)から城壁の中に入ろう。

ロードスの街の城壁にあるセント・ポール門(ギリシャ)

セント・ポール門はコロナ港(商港)からロードスの市内に入るために15世紀に設けられた門なんだそうな。但し、セント・ポール門は第2次世界大戦中に破壊されてしまい、今の門は戦後になって再建されたものらしい。

余談ながら、ロードス島と同様に聖ヨハネ騎士団の本拠となったマルタ島の城砦なども第2次世界大戦において空爆によって破壊されている。中世から近世にかけて築かれた騎士団の城砦などは、20世紀においても戦略的に重要な場所にあったということなのかな。

ロードスの城壁の武者走り

ロードスの市内から眺めた城壁の内側の様子が下の画像なんだけど、上部には武者走りも見えているね。

ロードスの街の海側の城壁の内側にある武者走り(ギリシャ)

このロードスの城壁なんだけど、マルタ島に築かれた城砦都市ヴァレッタの守りと比べてずいぶんと脆弱な印象を受けるね。ロードス島での攻防の頃よりも大砲などが発達したということもあるだろうし、西暦1565年のグレート・シージの際の経験をヴァレッタ建設において騎士団が活かしたということもあるんだろうね。

更に忘れちゃいけないのは、このロードスの城壁においても、陸側の守りは海側と比べてはるかに強固なものになっていること。オスマン・トルコ軍の主力は陸から攻撃すると考えられていたからね。(その陸側の城壁なんだけど、後で見に行くからご心配なく。)

ロードスの城壁の狭間

そして下の画像はロードスの城壁の狭間。ここから弓矢や鉄砲で敵兵を攻撃したんだろうね。敵軍の主力は陸側から攻撃してくると想定しているとはいえ、海側の守りが不要というわけじゃないからね。

ロードスの街の城壁にある狭間(ギリシャ)

ちなみに、ヨーロッパでは15世紀の前半に火縄銃が発明されている。というわけで、財力を持っていた聖ヨハネ騎士団も城壁の守りには火縄銃を使っただろうね。ついでながら、日本に火縄銃が伝わってきたのは西暦1543年(天文12年)のこと。オスマン・トルコ軍の侵攻によって聖ヨハネ騎士団がロードス島から撤退して20年後のことだった。


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