1522.06.01
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トルコ艦隊がコンスタンティノープルを出航し南下を始める。同じ頃、小アジアにはオスマン・トルコ陸軍の将兵が終結しつつあった。
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1522.06.26
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ムスタファ・パシャの率いるトルコ軍の第 1 陣がロードス島に上陸。
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1522.07.28
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オスマン・トルコのスルタンであるスレイマン 1 世(大帝)がロードス島に上陸。
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1522.08.01
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トルコ軍による攻撃開始。
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1522.08.31
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騎士団の補充と補給がロードス港に入港。
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1522.09.03
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トルコ軍による地雷により、騎士団の城壁の一部が損壊。
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1522.09.24
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トルコ軍による最初の総攻撃。再び城壁の一部が損壊し、トルコ兵が城壁内に侵入。しかし、ロードス市を攻略することは出来なかった。
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1522.10.27
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ポルトガル出身の幹部騎士ダマラルの裏切りが発覚。彼の従僕であるディエスが所持していた矢文によれば、11月1日に城門を開き、トルコ兵を城内に引き入れると記されていた。
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1522.11.29
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スレイマン 1 世からロードス市民宛の降伏勧告。
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1522.11.30
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損壊した城壁内にトルコ兵が侵入。しかし、騎士団側が防衛に成功。
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1522.12.04
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スレイマン 1 世から騎士団長に対する降伏勧告。騎士団長リラダンは拒否。
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1522.12.06
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再び騎士団長宛の降伏勧告。
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1522.12.08
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更に騎士団長宛の降伏勧告。
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1522.12.09
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ロードス市民が騎士団に降伏勧告受諾を申し入れ。
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1522.12.12
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再びトルコ側からの降伏勧告。
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同日夜、騎士団から 3 日間の休戦申し入れ。トルコ側は受諾。
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1522.12.16
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戦闘再開。
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1522.12.17
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トルコ兵が砦に侵入。やがて駆逐されたものの、騎士団にとって情勢は絶望的となっていた。
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1522.12.21
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再び 3 日間の休戦。
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1522.12.25
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降伏文書に署名がなされた。
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1522.12.26
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スレイマン 1 世と騎士団長リラダンが会談。
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1522.12.29
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スレイマン 1 世がロードス市に入城。
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1523.01.01
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聖ヨハネ騎士団の艦隊がロードス港を出航。
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その後 |
根拠地を失った聖ヨハネ騎士団は、やがてマルタ島に本拠地を構えた。その後、1565年にはオスマン・トルコのスレイマン大帝が大軍をマルタに派遣。しかし、ロードス島での戦いを経験したジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレッテを騎士団長に戴く聖ヨハネ騎士団は、最後の本拠地マルタ島を守り抜いた。(その詳細に関しては、ココをクリック。)
但し、その聖ヨハネ騎士団もエジプト遠征に向かうフランス皇帝ナポレオンにマルタ島を奪われてしまったんだけどね。
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