クノッソス宮殿遺跡に到着今朝は7時に目が覚めた。まずは海に面したテラスを歩く。無風。波音も遠慮がちだ。ホテルの敷地に植えられたオリーヴの木々を飛び交う鳥たちは遠慮なくさえずっているけどね。続いて海を眺めながら朝風呂につかる。9時には家内を起こす。11時には出発の予定だから、それまでに朝食と身支度を済ませてもらわないとね。予定通りに11時にホテルを出発。昨日のうちにホテルのコンシェルジェに手配を頼んでおいた車が迎えに来てくれた。ピカピカのベンツに乗った運転手氏もビシッとした服装だ。こちらはTシャツに短パンだけどね。英語も上手な運転手氏なんだけど、そのハンドルさばきはやはりギリシャならではのもの。とにかくブッ飛ばす。 車窓を流れ去るクレタ島の風景は厳しい。山が多く平地は少ない。しかも、水も無さそうだ。こんな場所で栽培できるのはオリーヴとブドウくらいなもんだろうね。でも、そんなクレタ島で栄えたのが古代のミノア文明だった。その中心となっていたのがクノッソス宮殿なんだね。
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そんなクノッソス宮殿の遺跡(上の画像)に到着したのが12時ちょうどだった。ここに宮殿が築かれたのは紀元前2000年頃とされている。その後、何度か建て直されたらしいけどね。
ミノア文明の中心だったクノッソス宮殿クレタ島を中心とするミノア文明が栄え始めたのは紀元前3000年頃とされている。その後、地中海各地との貿易によって繁栄し、紀元前2000年頃にクレタ島の各地に宮殿が建てられた。そのなかでも中心となっていたのが、このクノッソス宮殿だったらしい。(日本ではまだ縄文時代が続いている頃だね。)
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ところが、紀元前1500年頃にサントリーニ島の火山が大爆発を起こし、その影響を受けたクレタ島のミノア文明の衰退が始まったとの説もある。それを否定する説もあるんだけどね。いずれにせよ、紀元前15世紀にはクレタ島にアカイア人が侵入し、ミノア文明は滅亡してしまったんだ。
ラビリンス 迷宮として名高いクノッソス宮殿ミノス王の王妃は牡牛に恋心を抱き、人間の身体に牛の頭を持つミノタウロスを産んだ。そのミノタウロスが幽閉されていたのが、クノッソス宮殿の迷宮ラビリンスだった。
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ところで、日本語で迷宮と訳されている言葉ラビリンスなんだけど、本来の意味は違っていた。クノッソス宮殿の王座の間(下の画像はクノッソス宮殿の遺跡の一画にある王座の間)には、ミノアの宗教において聖なるものとされる双頭の斧が祀られていた。この双頭の斧のことをラブリュスと言った。そしてラビリンスとは双頭の斧の家のことだったそうな。
クノッソス宮殿遺跡の壁画はレプリカ古代地中海において貿易で繁栄したミノア文明が滅亡してから3000年以上が経った西暦1900年、クレタ島はオスマン・トルコの支配下にあった。イギリスの考古学者エヴァンズがクノッソス宮殿の遺跡を発掘したのはその年のことだったそうな。
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そんなクノッソス宮殿の遺跡のあちこちを見て歩く。上の画像にある壁画なども見ることが出来るんだ。但し、この遺跡の中にある壁画はレプリカ。オリジナルはクレタ島の今の中心となっている街イラクリオンの考古学博物館に展示されているらしい。これからその博物館へ行くことにしよう。
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