クレタ島の歴史
BC 60c
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クレタ島に人がすんでいたことが確認されている。
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BC 26
- 20c
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小アジアやエジプト、他のエーゲ海諸島と交易を行っていた。
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BC 19c
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ミノア文明が開花した。クノッソス宮殿が建設された。
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BC 17c
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大地震に襲われ、クノッソス宮殿も崩壊した。(後に再建されている。)
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BC 15c
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サントリーニ(ティラ)島の火山の大噴火に伴なう津波に襲われ、ミノア文明は大きな被害を受けた。
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BC 14c
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ギリシア本土から渡ってきたアカイア人により征服された。
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BC 13c
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地震によりクノッソス宮殿が完全に崩壊した。(但し、アカイア人同士の戦いの結果として崩壊したとする説もある。)
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BC 11c
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ギリシア本土よりドーリア人が渡来した。
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BC 9c
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ドーリア人が完全にクレタ島を制圧した。
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BC 6c
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クレタ島内の戦いが続き、またギリシア本土からの侵略を受け、クレタ島の勢力は衰退した。
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BC 5c -
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ギリシア本土で都市国家同士の争いが続き、クレタ島は交易により繁栄した。
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BC 71
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古代ローマのマルクス・アントニウスがクレタ島に侵攻。しかし、撃退された。
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BC 69
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古代ローマの将軍コイントス・カエキリスス・メテルスが兵を率いてクレタ島に上陸した。 2 年間の戦いが始まった。
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BC 67
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古代ローマがクレタ島を完全に征服。
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AD 4c
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古い信仰を保っていたクレタ島にキリスト教が広まった。
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AD 824
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アラブ人により征服された。
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AD 961
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ビザンティン帝国が、アラブ人からクレタ島を奪還した。
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AD 1210
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十字軍によって建国されたラテン帝国がクレタ島をヴェネツィアに売却した。
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AD 13c
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クレタ島のカトリック化を図るヴェネツィアに対し、クレタ島のギリシア正教徒による反乱が頻発した。
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AD 1299
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ヴェネツィアとギリシア正教徒との間で協約が結ばれ、正教徒の権利が認められた。
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AD 1645
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6 万人ものオスマン・トルコ軍がクレタ島に上陸。 24 年間に及ぶ戦いが始まった。
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AD 1669
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オスマン・トルコがクレタ島を完全に征服した。その結果、島内の多くの教会がモスクに替えられた。
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AD 1692
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ヴェネツィアの支援を受けた反乱が起こったが、トルコにより鎮圧された。
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AD 1770
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ロシアの支援を受けた反乱が起こったが、トルコにより鎮圧された。
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AD 1821
- 1829
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ギリシア独立戦争の際には、一時的にクレタ島の大部分が解放された。しかし、エジプト太守アフメト・アリがトルコ側に立って介入し、クレタ島の解放は失敗に終わった。エジプトの支援に対する報酬として、クレタ島はエジプト太守に与えられた。
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AD 1831
- 1833
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オスマン・トルコからの完全自立を目指すエジプトとトルコとの間に戦争が起こった。
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AD 1839
- 1840
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エジプトとトルコとの間の戦争が再発。
クレタ島ではエジプトに対する大規模な反乱が起きたが、エジプトによって鎮圧された。
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AD 1898
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クレタ島は独立国家となった。但し、オスマン・トルコの宗主権の許での独立に過ぎなかった。
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AD 1905
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クレタ島で大規模な反乱が起きた。
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AD 1913
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クレタ島はギリシア領となった。
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AD 1941
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ギリシア本土を占領したドイツ軍が大規模な部隊を派遣して、クレタ島に侵攻。しかし、クレタ島民の抵抗と連合軍の防衛作戦により、ドイツ軍の侵攻作戦は失敗に終わった。
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