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東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
ブダペストの春(ハンガリー)
1996 年 5 月
04. マーチャーシュ教会
ブダペスト最大の教会といわれる聖イシュトヴァーン大聖堂に続いて、長い歴史を持つマーチャーシュ教会を訪ねる。
マーチャーシュ教会
マーチャーシュ教会(正しくは聖母教会あるいはマリア教会)は、13世紀にゴシック様式の教会として建てられた。
その後、15世紀にハンガリー王マーチャーシュ(在位 1458 - 1490年)が、この教会を再建。
そのマーチャーシュ王は、この教会で二度も結婚式を挙げている。
そんなわけで、この教会はマーチャーシュ教会と呼ばれている。
マーチャーシュ王の時代、ハンガリー王国はボヘミア王国領モラヴィアを占領し、シュレジェンをも支配下に入れ、国内ではルネサンス文化が花開いた。そんな中世ハンガリー王国の黄金時代を象徴するマーチャーシュ王と縁の深いマーチャーシュ教会だが、その後は歴史に翻弄されている。
1538年にハンガリーに侵入したオスマン・トルコは、1541年にはブダペストを含む地域を直轄領とした。イスラム教徒の支配する時代、このマーチャーシュ教会もモスクとして使われていた。
やがて、1683年にはハプスブルク軍がオスマン・トルコ軍をハンガリーの主要部分から駆逐した。新しい支配者ハプスブルク家によって、マーチャーシュ教会はバロック式の教会に改装された。
1866年、普墺戦争においてプロイセンに敗れたオーストリアは、自治・独立を求めるハンガリーと妥協し、オーストリア・ハンガリー二重帝国が成立。1867年にはハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフがマーチャーシュ教会においてハンガリー王として戴冠。(この時に演奏されたのが、リストの「戴冠ミサ曲」。)
19世紀末、マーチャーシュ教会に手が加えられ、ゴシック様式の教会に改装された。
共産主義時代の信仰
今日、人々は教会の中で静かに祈りを捧げている。しかし、共産主義の時代は、信仰にとって極めて厳しい時代だった。
- 1949年、枢機卿ミンドセンティ・ヨージェフが逮捕された。
- 1951年、大司教グレスが逮捕され、後に終身刑の宣告を受けた。
- 1956年、釈放された枢機卿ミンドセンティが、アメリカ大使館に逃げ込んだ。
- 1971年、アメリカ大使館で保護されていた枢機卿ミンドセンティの出国をハンガリー政府が認めた。
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