東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ブダペストの春(ハンガリー)
1996 年 5 月


09. センテンドレ

センテンドレ上陸 ブダペストからドナウ川を遡ること約 25km。センテンドレという小さな街の船着場で船を降りる。

そこから街まではバス。といっても、乗車時間はほんの数分というところだ。

セルビア人の造った街センテンドレ

小さな教会と青空 街の入り口でバスを降り、土産物屋の並ぶ小道を歩いて街の広場に出る。

広場から続く幅 1メートルほどの小路を登れば、小山の上に立つ小さな教会。

教会の前にある小さな広場からは、赤い屋根と土壁の家々が並ぶセンテンドレの街を見渡すことが出来る。

このセンテンドレの街が作られたのは 17世紀のこと。オスマン・トルコの支配を逃れて来たセルビア人達が作った街なのだそうだ。

ハンガリーの民族主義と少数民族

1699年に結ばれたカルロヴィッツの和約により、オスマン・トルコからハンガリーの支配権を奪ったハプスブルク家の帝国は、複合民族国家であると言われる。

ハンガリーの人々は、ハプスブルク家の支配から逃れ、自治あるいは独立を回復するために、何度も反乱を起こしている。

  • 1703年にハンガリー貴族の支持を集めて反乱を起こしたラーコーツィ・フェレンツは、1705年にハンガリー王に選出された。

    しかし、反乱軍を鎮圧したハプスブルク家のカール6世が、1711年にカール3世としてハンガリー王に即位。敗れたラーコーツィ・フェレンツはフランスに亡命し、ルイ14世が支給する年金で暮らすこととなった。

  • マリア・テレジアの子ヨーゼフ 2世(位 1780 - 1790年)の改革に反感を抱いたハンガリー貴族が反乱を起こし、ヨーゼフ 2世は妥協を強いられた。

  • 1848年、コッシュート・ラヨシュに指導された独立運動を抑えようとしたハプスブルク家とハンガリーとの間に戦争が始まった。しかし、翌年にはロシア帝国軍部隊20万人の支援を得たハプスブルク家が独立派を撃ち破り、ハンガリーの独立運動は挫折した。
民族の自立を求めつづけたハンガリー。しかし、彼らはハンガリー内に住む少数民族(ルーマニア人、セルビア人、クロアティア人、スロヴァキア人、スロヴェニア人など)に対して、差別的・抑圧的な統治を行った。

その結果、1848年の独立戦争の際には、多くの少数民族がハプスブルク家の側に立って戦っている。




アーティストの街

コヴァチ・マルギット・ミュージアム そんな民族対立の歴史を考えさせるセンテンドレの街だけど、今では多くの芸術家が住む平和な街となっている。

また、街には小さいながらも多くの美術館・博物館がある。

その中でも最も著名なものが、ハンガリーを代表する陶芸作家コヴァーチ・マルギットのミュージアム。右にあるのは、その入口にある看板なんだけど、とっても可愛いでしょ。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索


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