東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「真冬のアイスランド」

アイスランドの歴史年表

ヴァイキングたちの時代

  • 860年頃、ノルウェー系ヴァイキングによってアイスランド島が発見された。島には少数のアイルランドの隠修士が暮らしていたらしい。
  • 871年、火山の大規模な噴火があり、島全体が火山灰に覆われた。
  • 874年頃、ノルウェー系ヴァイキングが島に植民を行った。その代表的な人物がレイキャビクの開拓を始めたとされるインゴールヴル・アルナルソンだった。
  • 930年頃、シンクヴェトリルにアルシング(国会)が設置された。
  • 982年、赤毛のエイリクがグリーンランドを発見し、植民を指揮した。
  • 10世紀末、ノルウェー王オーラヴ1世トリュグヴァソンがアイスランドに宣教師を派遣した。
  • 1000年頃、アルシングにおいてキリスト教への改宗が決定された。その頃、レイフ・エリクソン(幸運のレイフ)が北アメリカに到達し、植民を行った。下の画像はレイフ・エリクソンによる北アメリカへの航海を描いた切手。(レイフ・エリクソンは赤毛のエイリクの息子。)
レイフ・エリクソンの北アメリカ発見を描いたアイスランドの切手

  • 1056年、アイスランドに最初の司教区が設けられた。初代司教はイスレイヴだった。
  • 1100年頃、司祭アリ・ソルギルスソンによって現存最古の民族史「アイスランド人の書」が編まれた。島への最初期の植民の様子などが描かれている。

ノルウェー王・デンマーク王の支配

  • 1262年、アイスランドがノルウェー王に服属した。
  • 1397年、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンによるカルマル連合が成立し、以後はそのカルマル連合の王がノルウェー王としてアイスランドを支配した。
  • 1523年、スウェーデンがカルマル連合から離脱。
  • 1540年、デンマーク王クリスチャン3世が兵を派遣し、スカールホルト司教を逮捕し、教会領を没収した。下の画像は今のスカールホルト教会の様子。
現在のスカールホルト教会(アイスランド)

  • 1550年、デンマーク王クリスチャン3世の兵により、ホウラル司教が逮捕・処刑され、その教会領が没収された。以後、アイスランドにおいてはルター派の信仰が強制された。
  • 1602年、アイスランドの貿易がデンマークによって独占された。
  • 1783年、ラキ火山の噴火により、島の人口が激減した。
  • 1800年、アルシング(国会)が廃止された。

独立運動

  • 1815年、フランスの皇帝ナポレオンの没落後に開催されたウィーン会議の結果、アイスランドはデンマークの支配下に維持されることとなった。
  • 1843年、アルシングが諮問議会として復活。それを後ろ盾にヨン・シグルズソンらがアイスランド独自の憲法を求めた。ヨン・シグルズソンは長く独立運動の指導者とされ、彼の誕生日は後に独立を獲得した母国の独立記念日となった。下の画像はその独立記念日の様子を描いた切手。切手の左手に描かれているのは、レイキャビクに立てられたヨン・シグルズソンの銅像。
独立記念日の様子を描いたアイスランドの切手

  • 1854年、デンマーク人による貿易の独占が廃止された。
  • 1874年、デンマーク憲法に付随したアイスランド憲法が制定された。アルシングには立法権・財政権が与えられたが、デンマーク王には拒否権が認められた。更には司法権については、デンマークのコペンハーゲンにある最高裁の下に置かれた。
  • 1889年以後、アルシングは行政権の拡大を望み、憲法改正を要求し続けたが、デンマーク政府はそれを認めなかった。
  • 1904年、デンマークが派遣していた総督を廃止し、アイスランドは自治を獲得した。その行政府はコペンハーゲンからレイキャビクに移された。
  • 1905年、スウェーデン王の支配下にあったノルウェーが独立し、アイスランドの独立運動を刺激した。
  • 1907年、デンマーク王フレゼリク8世がアイスランドを訪問し、両国合同の憲法修正委員会を設置した。
  • 1914年、第一次世界大戦が勃発し、デンマークとの連絡が断たれたアイスランドの独自の行動の機会が増した。
  • 1918年、アイスランドとデンマークとの新たな連合条約が成立。同君連合下でのアイスランドの主権と独立が認められ、その意向に沿ってデンマークが外交・防衛を行うこととなった。
  • 1920年、アイスランドに最高裁判所が置かれた。
  • 1940年、ドイツがデンマークとノルウェーを占領した。対抗してイギリスがアイスランドを占領。
  • 1941年、イギリスに換わってアメリカがアイスランドを占領。
  • 1944年、国民投票において97パーセントを越す賛成を得て、デンマークとの連合条約の解消が宣言され、アイスランド共和国が独立した。デンマーク王クリスチャン10世からは独立を祝う電報がアイスランドに送られた。

現代のアイスランド共和国

  • 1949年、アイスランドが NATO 北大西洋条約機構に参加した。
  • 1986年、レイキャビクのホフディ・ハウスでレーガン・ゴルバチョフによる米ソ首脳会談が行われた。
  • 1986年、捕鯨停止に反対するアイスランドが国際捕鯨委員会を脱退した。(下の画像はレイキャビクのレストランで食べたクジラの刺身。メインはクジラのステーキだった。)
レイキャビクのレストランで食べたクジラの刺身

  • 2002年、国際捕鯨委員会に再加盟。
  • 2003年、アイスランドが調査捕鯨の再開を宣言。
  • 2006年、商業捕鯨を再開。同年、アメリカ軍の駐留が終了。
  • 2009年、EU ヨーロッパ連合に加盟を申請。
  • 2015年、EU ヨーロッパ連合への加盟申請を取り下げた。


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