ダブリンを流れるリフィ川アイルランドの首都ダブリンのど真ん中を川がある。それが下の画像にあるリフィ川なんだ。
ウィックロー山脈を水源地とするリフィ川の全長は125km。ダブリンから更に東に向かい、やがてダブリン湾にまで至っている。アイルランドといえば頭に浮かぶのはギネス・ビールだけど、かつてギネス・ビールはリフィ川を下って輸出されていたんだそうな。
リフィ川の黒い水、それがダブ・リン下の画像を見ればわかるけど、ダブリンを流れるリフィ川のほとりは散歩に最適だよね。イギリスの首都ロンドンを流れるテムズ川のようにね。
でも、リフィ川の流れは常に静かだったわけじゃない。9世紀の半ばにはヴァイキングたちがリフィ川を遡り、このあたりで略奪を行い、砦を築いたんだそうな。彼らはリフィ川のことを「黒い水」と呼んだ。黒い水、ゲール語で「ダブ・リン」。以後、この街はダブリンと呼ばれている。
ちなみに、9世紀といえばヴァイキングがヨーロッパ各地で略奪をはたらいた時期だよね。西暦844年にはイベリア半島のアンダルシア地方を流れるグアダルキビル川を遡ったヴァイキングがセビリアを襲い、その翌年にはセーヌ川を遡った連中がパリを襲っている。
リフィ川にかかる橋ダブリンの真ん中を東西に流れるリフィ川によって、街は南北に分断されている。そんな街の両岸を結ぶ為に、リフィ川には多くの橋がかけられているんだ。
その一つが上の画像にあるサムエル・ベケット橋。ちょいと妙な姿をしているよね。実はこの橋はハープをかたどっている。ハープはアイルランドの国章にも描かれているね。
リフィ川のほとりのカスタム・ハウス上にも書いたように、かつて輸出用のギネス・ビールはリフィ川から積み出されていた。その他にも、かつては様々な商品がリフィ川を上り下りしていたんだそうな。そんな取引の関税を取り扱うために建てられたのが、下の画像にあるカスタム・ハウス。西暦1791年に完成したもの。
そんなカスタム・ハウスが戦火に遭ったのが西暦1921年のこと。当時のアイルランドはイギリスによる支配からの独立を求める戦いのさなかにあった。イギリスによる支配を打破する為にアイルランド共和国軍がこの建物を攻撃し、火災によって特に内部はひどい損傷を被ったんだそうな。
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