東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「イタリア北部の旅」

01. ミラノのドゥオモ(大聖堂)

ミラノ到着

このコーナーは私たちの初めてのイタリア旅行の旅行記なんだ。初めてのイタリア、となればまずはローマかなと思うよね。でも、ロンドンのガトウィック空港(ヒースロー空港じゃないよ)から乗った飛行機が降り立ったのはジェノヴァだった。そこから鉄道を利用してイタリア北部を旅して周ろうというわけだ。初めてのイタリアで、個人旅行で、しかもイタリア語もわからないくせに、ちょいとばかり無謀だったかもしれないね。

イタリア北部略図

ジェノヴァ(上の略図を参照)の空港に着陸したのは13時過ぎだった。すぐにタクシーに乗り込み、ジェノヴァ・ピサ・プリンツィペ駅へと向かう。ジェノヴァには主要な駅が二つあるんだけど、各々から出発する列車は行き先が異なっている。間違えないようにしないとね。

駅では1時間半ほど時間があった。ちょいと駅の周囲を散歩しようとしたんだけど、あちこちで浮浪者がたむろしていたり、相当に雰囲気は悪い。怖くなって駅に戻り、カフェで時間つぶしをしたよ。

やがて列車の時間が近づいてきた。駅のホームで待つ。でも、時々アナウンスがあり、それに応じて人々がホームを移動している。え、私たちも移動した方がええんかな。念のために駅員に尋ねてみたけれども、英語が通じているのかどうかも怪しい・・・。

結局、私たちはホームを移動せず、間もなく停車した列車にえいやと乗り込んだんだ。それから1時間半、車窓の風景を楽しんでいるうちに、ミラノに到着。ともかく最初の目的地に無事に辿り着いたわけだ。

ミラノのドゥオモ(大聖堂)

駅からタクシーでホテルに到着。チェック・インを済ませ、荷物を部屋に置き、再び出かける。まずはミラノ市内を観光したいよね。

ミラノのドゥオモあるいは大聖堂(イタリア)

ともかくやってきたのはドゥオモあるいは大聖堂(上の画像は kaoringo さんから戴いたもの)だった。その幅は 92メートル、奥行きは 158メートル、高さは 108メートルという巨大な建物だね。この建物の上には135本の尖塔が立っている。その最も高い先頭の上には、金のマリア像が輝いている ・・・ らしい、よく見えないけどね。

このミラノのドゥオモ(大聖堂)の建設が始まったのは西暦1386年のこと。巨大さだけではなく、長い歴史のある建物だというわけだ。第二次世界大戦中の西暦1943年夏にはアメリカやイギリスなどの連合国軍がミラノに空爆を行ったんだけど、このドゥオモ(大聖堂)には爆弾を落とさないように配慮したなんて話もあるらしいよ。

ドゥオモの内部

14世紀後半に建設が始まったミラノのドゥオモ(大聖堂)なんだけど、最終的に完成したのが西暦1965年のことなんだそうな。建物の建設もだけど、その内部の装飾などにも手間隙・時間がかかったらしい。(下の画像は内部の様子。)

ミラノのドゥオモあるいは大聖堂の内部(イタリア)

ちなみに、西暦1804年にフランス皇帝となったナポレオンは、このミラノのドゥオモ(大聖堂)の建設工事を急がせている。というのも、彼はここでイタリア王として戴冠するつもりだったんだ。その後、西暦1805年に彼はここでイタリア王として戴冠している。

ちなみに、工事を急がせたナポレオンは、その費用をフランス政府が負担すると約束したんだそうな。でも、結局はフランスからの費用の支払は無かったらしいけどね。

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリア

ミラノのドゥオモ(大聖堂)の前のドゥオモ広場に入口があるショッピング・アーケードが、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリアだ。下の画像に見えるように、鉄とガラスの屋根に覆われているんだけど、完成したのが西暦1877年という歴史あるアーケードなんだそうな。

ミラノにあるヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリア(イタリア)

ちなみに、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世というのは、西暦1861年に成立した近代統一イタリア王国の初代国王の名前。西ローマ帝国の滅亡の後、イタリアはいくつもの国に分かれていた。そんなイタリアを統一して成立したのが、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のイタリア王国だった。ちなみに、イタリア統一前の彼はサルディニア王だったんだけど、このミラノは西暦1859年にサルディニア王国に割譲されている。イタリア王国成立の2年前のことだね。

ミラノのドゥオモ(大聖堂)の前の広場には、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が立っている。ローマヴェネツィア広場には彼の記念堂もあり、更に立派な騎馬像も立っているんだ。

ところで、この日の夕食なんだけど、ミラノの街角の通りすがりのレストランで済ませたんだ。ところが、家内のメインの料理が冷めている。美味しいものを食べるために待たされることはかまわない。でも、美味しい料理が冷めて出てくることは許せないよね。というわけで、店のマネージャーを呼んで文句を言った。結局、冷めていた家内のメイン料理の代金は払わないし、サービス料も断じて払わないことにした。

というわけで、不機嫌な夜になっちゃった。でも、デパートで買ってホテルの部屋で食べたケーキが美味しかったんだ。ホテルのルーム・サービスのカプッチーノも美味かった。おかげで機嫌よく眠ることが出来たね。


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