ミラノに立つレオナルド・ダヴィンチ像そして翌朝。初代イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の名を与えられたガレリア(昨日も歩いたんだけどね)を通り抜けると、スカラ座の前の広場に出る。そこに立っているのが下の画像の銅像なんだ。名高いレオナルド・ダヴィンチの像だね。
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ダヴィンチは西暦1482年から1499年までミラノにいたそうな。その後はフランス王シャルル8世やルイ12世などが惹き起こした戦火を逃れてヴェネツィアへ行ったり、故郷のフィレンツェに戻ったり。ローマ教皇アレクサンデル6世の息子のチェーザレ・ボルジアの下で働いたこともあった。
世界遺産サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会ミラノにいた頃のダヴィンチは、この土地の支配者であるミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァから注文を受けていた。その一つが彼の先祖にして一族にミラノ公の地位をもたらした傭兵隊長フランチェスコ・スフォルツァの騎馬像の制作だったそうな。ところが、騎馬像の材料となるはずのブロンズは、フランス王シャルル8世のイタリア侵攻の際に大砲にされちゃったらしい。更には騎馬像の原型として作った粘土像はフランス王ルイ12世の兵士たちの射撃の的になっちゃった。イタリアを代表する天才ダヴィンチも15世紀末の動乱に翻弄されたわけだね。
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でも、そんなダヴィンチが残した最高傑作の一つがミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(上の画像)に残っているんだ。この教会(及び中にある修道院)は世界遺産にもなっている。
ミラノで見たダヴィンチの「最後の晩餐」というわけで、10時からサンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会の前の行列に1時間あまり並び、ようやく見ることが出来たのが、ダヴィンチの「最後の晩餐」(下の画像)だった。彼が制作を始めたのが西暦1495年、完成したのが西暦1498年のことなんだそうな。
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ちなみに、私たちは予約もなしやって来て、行列に並んで「最後の晩餐」を見ることが出来たんだけど、それは昔の話なんだそうな。今は予約が必須だとのこと。電話かウェブで予約するらしい。予約を代行してくれる業者もあるみたいだけどね。
キリストと驚く弟子たちダヴィンチの「最後の晩餐」に描かれているのは、共に食事をしているイエス・キリストとその弟子たちだよね。でも、イエス・キリストは弟子たちの1人が彼を裏切ると告げる。弟子たちはその言葉に驚いているわけだ。
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上の画像は「最後の晩餐」の部分なんだけど、中心にはイエス・キリスト、その右にトマス、ヤコブ、フィリポと続く。イエス・キリストの左には、ヨハネ、ペテロが描かれている。上の画像には見えていないけれども、裏切り者のユダも描かれている。その裏切りによって、ゴルゴタの丘でキリストは十字架にかけられるわけだね。
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