東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「イタリア北部の旅」

02. ダヴィンチの「最後の晩餐」(ミラノ)

ミラノに立つレオナルド・ダヴィンチ像

そして翌朝。初代イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の名を与えられたガレリア(昨日も歩いたんだけどね)を通り抜けると、スカラ座の前の広場に出る。そこに立っているのが下の画像の銅像なんだ。名高いレオナルド・ダヴィンチの像だね。

ミラノに立つレオナルド・ダヴィンチ像(イタリア)

ダヴィンチは西暦1482年から1499年までミラノにいたそうな。その後はフランス王シャルル8世ルイ12世などが惹き起こした戦火を逃れてヴェネツィアへ行ったり、故郷のフィレンツェに戻ったり。ローマ教皇アレクサンデル6世の息子のチェーザレ・ボルジアの下で働いたこともあった。

その後も彼はフィレンツェ、再びミラノ、そしてローマなどを転々としている。そして西暦1515年、ボローニャで行われたローマ教皇レオ10世フランス王フランソワ1世の会談の際に、彼はフランソワ1世の面識を得たんだそうな。その翌年、西暦1516年、フランス王フランソワ1世の招請を受け、ダヴィンチはフランスに向かった。そして3年後にフランスで亡くなっている。

世界遺産サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

ミラノにいた頃のダヴィンチは、この土地の支配者であるミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァから注文を受けていた。その一つが彼の先祖にして一族にミラノ公の地位をもたらした傭兵隊長フランチェスコ・スフォルツァの騎馬像の制作だったそうな。

ところが、騎馬像の材料となるはずのブロンズは、フランス王シャルル8世のイタリア侵攻の際に大砲にされちゃったらしい。更には騎馬像の原型として作った粘土像はフランス王ルイ12世の兵士たちの射撃の的になっちゃった。イタリアを代表する天才ダヴィンチも15世紀末の動乱に翻弄されたわけだね。

ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(イタリア)

でも、そんなダヴィンチが残した最高傑作の一つがミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(上の画像)に残っているんだ。この教会(及び中にある修道院)は世界遺産にもなっている。

ミラノで見たダヴィンチの「最後の晩餐」

というわけで、10時からサンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会の前の行列に1時間あまり並び、ようやく見ることが出来たのが、ダヴィンチの「最後の晩餐」(下の画像)だった。彼が制作を始めたのが西暦1495年、完成したのが西暦1498年のことなんだそうな。

ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で見たレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」(イタリア)

ちなみに、私たちは予約もなしやって来て、行列に並んで「最後の晩餐」を見ることが出来たんだけど、それは昔の話なんだそうな。今は予約が必須だとのこと。電話かウェブで予約するらしい。予約を代行してくれる業者もあるみたいだけどね。

ついでながら、以前は「最後の晩餐」を撮影することも出来た。だから、このページに画像があるわけだ。でも、今は最後の晩餐のある部屋(昔の修道院の食堂なんだそうな)の中ではビデオもカメラも使用禁止なんだそうな。残念ながら。

更には、かつては「最後の晩餐」のある部屋には相当な人数の観光客が入っていたんだけど、今は最大30人ずつのグループにして順番に入れているそうな。しかも、15分で次のグループに交替するらしい。私たちが来た時には時間制限も無かったんだけどね。

キリストと驚く弟子たち

ダヴィンチの「最後の晩餐」に描かれているのは、共に食事をしているイエス・キリストとその弟子たちだよね。でも、イエス・キリストは弟子たちの1人が彼を裏切ると告げる。弟子たちはその言葉に驚いているわけだ。

ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で見たレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」の中心部分(イタリア)

上の画像は「最後の晩餐」の部分なんだけど、中心にはイエス・キリスト、その右にトマス、ヤコブ、フィリポと続く。イエス・キリストの左には、ヨハネ、ペテロが描かれている。上の画像には見えていないけれども、裏切り者のユダも描かれている。その裏切りによって、ゴルゴタの丘でキリストは十字架にかけられるわけだね。

ところで、ダヴィンチの最高傑作の一つである「最後の晩餐」は、その芸術的な素晴らしさの故に「奇跡」と賞賛されたそうな。でも、それとは違う意味でも「奇跡」を起こしたらしい。

第二次世界大戦の最中である西暦1943年8月のこと。シシリアを占領し、イタリア本土上陸作戦を目前にしていた連合国軍は、ミラノに空爆を行ったそうな。その結果、ミラノの街の多くの建物が破壊された。

このサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の建物にも爆弾が落ち、昔の修道院の食堂の壁も破壊されたらしい。ところが、ダヴィンチの「最後の晩餐」のある壁は破壊を免れたんだそうな。そのおかげで私たちはダヴィンチの最高傑作を見ることが出来るわけだね。


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