聖ペテロの墓所の上に建てられたサン・ピエトロ大聖堂旅の2日目の朝、ツアー・バスに乗って到着したのは、ヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂だった。いうまでもなく、ローマ・カトリックの中心たる場所だよね。昨日の夕方にもここを訪れたんだけど、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世のミサが行われていて、大聖堂の中に入ることができなかったんだ。あらためて再度やって来たというわけだ。
この大聖堂はイエス・キリストの最初の弟子とも伝えられる聖ペテロ(イタリア語では「サン・ピエトロ」)の墓所の上に建てられたとされている。故にサン・ピエトロ大聖堂と呼ばれるわけだ。(上の画像はサン・ピエトロ大聖堂の前に立つ聖ペテロの像。)
サン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロのピエタサン・ピエトロ大聖堂に入ってすぐの右手には、「ピエタ礼拝堂」と呼ばれる場所がある。正式な礼拝堂の名前ではないらしいけど、そこにミケランジェロのピエタ(哀しみの聖母像)があることから、そう呼ばれている。
西暦1972年、狂人のハンマーがこの美しいピエタ(上の画像)を破壊してしまった。幸いにもピエタは見事に修復された。でも、同様の事件が繰り返されることを懸念し、ピエタは今では強化ガラスのケースに納められている。銃弾によっても破壊されないというケースなんだそうな。(カメラのフラッシュを使うと光がガラスに反射してうまく撮れない。)
ミケランジェロとサン・ピエトロ大聖堂ピエタを完成させた後、ミケランジェロは西暦1504年にダヴィデ像(当時はフィレンツェのシニョーリア広場に置かれた)を、西暦1512年にはヴァティカンのシスティナ礼拝堂の天井画を完成させた。更に西暦1541年にはシスティナ礼拝堂の祭壇画「最後の審判」を完成させている。
そして西暦1546年、彼はサン・ピエトロ大聖堂の建築に関与することになった。ミケランジェロが注力したのは、大聖堂のクーポラあるいは円屋根(その天井が上の画像)を完成させることだった。
ベルニーニによる聖ペテロの司教座既に書いたように、聖ペテロの墓所の上に築かれたとされるサン・ピエトロ大聖堂の最奥にあるのが、下の画像にある聖ペテロの司教座(カテドラ・ペトリ)なんだ。
この司教座の中心にある椅子は、かつては聖ペテロゆかりの品とされていた。でも、現代の学者の調査によれば、9世紀のものと考えられている。その椅子を中心に据えた司教座を制作したのはベルニーニだった。
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