東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「ローマとポンペイ(イタリア)」

02. ローマのサン・ピエトロ大聖堂

聖ペテロの墓所の上に建てられたサン・ピエトロ大聖堂

旅の2日目の朝、ツアー・バスに乗って到着したのは、ヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂だった。いうまでもなく、ローマ・カトリックの中心たる場所だよね。昨日の夕方にもここを訪れたんだけど、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世のミサが行われていて、大聖堂の中に入ることができなかったんだ。あらためて再度やって来たというわけだ。

ローマのサン・ピエトロ大聖堂の前に立つ聖ペテロ像(イタリア)

この大聖堂はイエス・キリストの最初の弟子とも伝えられる聖ペテロ(イタリア語では「サン・ピエトロ」)の墓所の上に建てられたとされている。故にサン・ピエトロ大聖堂と呼ばれるわけだ。(上の画像はサン・ピエトロ大聖堂の前に立つ聖ペテロの像。)

イエス・キリストが十字架にかけられた後、聖ペテロは布教の為にローマを訪れ、そこで古代ローマ帝国皇帝ネロによるキリスト教徒迫害によって西暦67年に殉教したとされている。ローマ・カトリック教会では、そんな聖ペテロを初代ローマ教皇とし、歴代の教皇は聖ペテロの後継者であるとされている。

ちなみに、サン・ピエトロ大聖堂の地下墓所で発見されたとされる聖ペテロの遺骨を納めた聖遺物箱が、西暦2013年11月にヴァティカンで公開されたそうな。但し、それが聖ペテロの遺骨であることに否定的な学者もいるみたいだけどね。

サン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロのピエタ

サン・ピエトロ大聖堂に入ってすぐの右手には、「ピエタ礼拝堂」と呼ばれる場所がある。正式な礼拝堂の名前ではないらしいけど、そこにミケランジェロのピエタ(哀しみの聖母像)があることから、そう呼ばれている。

ローマのサン・ピエトロ大聖堂で見たミケランジェロのピエタ(イタリア)

西暦1972年、狂人のハンマーがこの美しいピエタ(上の画像)を破壊してしまった。幸いにもピエタは見事に修復された。でも、同様の事件が繰り返されることを懸念し、ピエタは今では強化ガラスのケースに納められている。銃弾によっても破壊されないというケースなんだそうな。(カメラのフラッシュを使うと光がガラスに反射してうまく撮れない。)

このサン・ピエトロ大聖堂で見るピエタは、これ以上のものはないと思えるほどに完成されたものだと思う。でも、何が不満だったのか、ミケランジェロはその後もピエタを作っている。

例えば古都フィレンツェアカデミア美術館(ミケランジェロのダヴィデ像もある)には、パレストリーナのピエタがある。同じくフィレンツェのドゥオモ博物館には、未完のピエタがある。更にミラノスフォルツェスコ城にはロンダニーニのピエタがあるんだ。

ミケランジェロとサン・ピエトロ大聖堂

ピエタを完成させた後、ミケランジェロは西暦1504年にダヴィデ像(当時はフィレンツェのシニョーリア広場に置かれた)を、西暦1512年にはヴァティカンのシスティナ礼拝堂の天井画を完成させた。更に西暦1541年にはシスティナ礼拝堂の祭壇画「最後の審判」を完成させている。

ローマのサン・ピエトロ大聖堂で見たミケランジェロによるクーポラの天井(イタリア)

そして西暦1546年、彼はサン・ピエトロ大聖堂の建築に関与することになった。ミケランジェロが注力したのは、大聖堂のクーポラあるいは円屋根(その天井が上の画像)を完成させることだった。

そんなミケランジェロは西暦1564年に亡くなり、彼の遺骸はフィレンツェのサンタ・クローチェ教会ダンテマキャベリのお墓もある)に葬られた。その後、サン・ピエトロ大聖堂のクーポラが完成し、その上にランタン(頂塔)が設置されたのは西暦1591年のことだった。

ベルニーニによる聖ペテロの司教座

既に書いたように、聖ペテロの墓所の上に築かれたとされるサン・ピエトロ大聖堂の最奥にあるのが、下の画像にある聖ペテロの司教座(カテドラ・ペトリ)なんだ。

ローマのサン・ピエトロ大聖堂で見たベルニーニによる聖ペテロの司教座(イタリア)

この司教座の中心にある椅子は、かつては聖ペテロゆかりの品とされていた。でも、現代の学者の調査によれば、9世紀のものと考えられている。その椅子を中心に据えた司教座を制作したのはベルニーニだった。

画家カラヴァッジオと並んでイタリア・バロックの巨匠とされるのが、17世紀の彫刻家ベルニーニだった。サン・ピエトロ大聖堂の中にあるブロンズの天蓋(バルダッキーノ)も彼の作品だし、大聖堂の前にあるサン・ピエトロ広場もベルニーニによるものだね。更に他にもローマのあちこちで彼の作品を見ることができるんだ。

ついでながら、サン・ピエトロ広場の前には、ヴァティカン市国の国境(自由に通過できるけどね)もある。西暦1861年に統一イタリア王国が成立し、西暦1870年にローマが併合されている。その後、ムッソリーニ統治下の西暦1929年に締結されたラテラノ条約によって世界最小の独立国であるヴァティカン市国が成立したんだそうな。


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