東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「ローマとポンペイ(イタリア)」

05. トレヴィの泉とポポロ広場(ローマ)

トレヴィの泉

パンテオンから15分ほど歩いてやって来たのはトレヴィの泉。中央に立つネプチューンは海神、左手のケレスは豊穣の女神、右手のサルスは健康の女神(医術の神アスクレピオスの娘)なんだそうな。

ローマのトレヴィの泉(イタリア)

このトレヴィの泉にコインを投げ込めば、再びローマに来ることができると伝えられている。が、トレヴィの泉は多くの観光客に取り囲まれている。遠くからコインを投げて観光客にぶつけるわけにもいかない。なんとか泉の近くまでたどり着き、作法に従ってコインを投げ込む。

イタリア人のガイドさんに教えてもらった正しい作法を書いておく。コインは右手に持つ。トレヴィの泉に背中を向け、左肩の上から投げ込むんだ。

紀元前19年、古代ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの命により、彼の副官アグリッパ(フランス南部に残る水道橋ポン・デュ・ガールやパンテオンを築いた人物)が 20kmもの彼方から水を引く水道を完成させた。その末端からほとばしり出る水を受ける水盤がトレヴィの泉の始まりとなる。

しかし、西ローマ帝国の滅亡の前後に続いたゲルマン系蛮族の侵入や戦乱によって破壊されたこともある。その後、中世から近世にかけて修復・改築の手が加えられた。そして西暦1762年、建築家ニコラ・サルヴィの設計によって完成されたのが、今のトレヴィの泉なんだそうな。

ちなみに、17世紀前半にはローマ教皇ウルバヌス8世と彫刻家ベルニーニがトレヴィの泉を完成させようとしたこともあったらしい。残念ながら実現には至らなかったんだけどね。でも、ニコラ・サルヴィの設計には、ベルニーニの案が反映しているという説もあるんだそうな。

そんな歴史あるトレヴィの泉なんだけど、西暦2014年6月から修復が始まっている。あのフェンディが工事の資金を出したんだそうな。そんな修復作業は西暦2015年の秋に完了するとされている。修復工事中もトレヴィの泉を見ることはできるらしい。でも、せっかく見に行くならば、工事をしていない時が良いよね。

ポポロ広場

再び歩いてスペイン広場に到着。ここでツアーの一行はとりあえず解散し、以後は夕方まで自由行動となる。家内と私はスペイン広場近くのレストランに入り、ランチを済ませる。そこから歩いて向かったのがポポロ広場(下の画像)だった。

ローマのポポロ広場(イタリア)

上の画像の中央にはオベリスク(上半分は写ってないけど ・・・ )が見えている。古代エジプトのファラオの一人ラムセス2世のオベリスクなんだけど、古代ローマ帝国時代にイタリアに運び込まれたものなんだそうな。そして西暦1589年にローマ教皇シクストゥス5世の命によってこのポポロ広場に立てられたらしい。

ついでながら、ローマ教皇シクストゥス5世はサン・ピエトロ大聖堂の前にもオベリスクを立てさせている。そんなシクストゥス5世の即位の式典には、たまたまその時期にローマに滞在していた日本の天正遣欧少年使節も参列したんだそうな。

ポポロ広場の双子教会

上の画像でもオベリスクの向こうに見えているんだけど、このポポロ広場に来たならば見逃せないのが、下の画像にある双子教会。

ローマのポポロ広場にある双子教会(イタリア)

左側がサンタ・マリア・イン・モンサント教会、右側がサンタ・マリア・ディ・ミラーコリ教会というのが、正式の名前なんだそうな。確かに左右対称に見える双子教会 ・・・ なんだけど、実はちょいとだけ形や大きさが違っているらしい。

ちなみに、左側のサンタ・マリア・イン・モンサント教会については、西暦1674年から翌年にかけて、彫刻家ベルニーニが工事の監督を務めていたらしい。但し、忙しい彼がどこまで工事に関わったのかはわからないみたいだけどね。

ついでながら、この双子教会の間を通るコルソ通りをずっと歩いていけば、ヴェネツィア広場にたどり着くんだそうな。統一イタリア王国の初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が見下ろす広場だね。コロッセオ(円形闘技場)もそこから近いんだ。

ポポロ門とサンタ・マリア・デル・ポポロ教会

そして双子教会の近くからポポロ広場を眺めたのが下の画像なんだけど、オベリクスの向こうに見えているのがポポロ門。古代ローマ帝国時代のフラミニア門の跡に建てられたらしい。

ローマのポポロ広場にあるポポロ門とサンタ・マリア・デル・ポポロ教会(イタリア)

そして上の画像でポポロ門の右に見える鐘塔のある建物がサンタ・マリア・デル・ポポロ教会。わざわざポポロ広場まで歩いてきたのは、この教会に入るためだった。というのも、この中にはイタリア・バロックの二人の巨匠、彫刻家ベルニーニと画家カラヴァッジオの作品があるからね。

ところが、あいにくサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の扉は閉まっていた。明日のイースター(復活祭)のミサの準備の為かな ・・・ 。仕方ない。今回の旅では諦めよう。

でも、トレヴィの泉で正しい作法に従ってコインを投げ込んだおかげか、数年後に再びローマを訪れることができたんだけど、その際にはサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の中をじっくりと見て歩くことが出来たんだ。(詳しくは別のローマの旅行記の中にあるサンタ・マリア・デル・ポポロ教会のページを参照。)


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