東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「ローマとポンペイ(イタリア)」

ローマ略年表-2. 「 1世紀から 5世紀」

  • AD 118-128年、皇帝ハドリアヌスが今に残るパンテオンを再建した。

  • AD 2世紀の後半、ローマの教会で司教位が確立されたと考えられている。

  • AD 212年、カラカラ帝がカラカラ浴場を建設した。

  • AD 270年、皇帝アウレリアヌスがローマ防衛のために新しい城壁(アウレリアヌス城壁)を築いた。

  • AD 3世紀末、キリスト教信仰の問題に関して、ローマ教会の影響力が強まった。

  • AD 312年、コンスタンティヌスがローマの北でマクセンティウスを破り、西の正帝となった。

  • AD 313年、東の正帝であるリキニウス帝の同意を得たコンスタンティヌス帝は、ミラノ勅令によってキリスト教を公認した。

  • AD 315年、マクセンティウスに対するコンスタンティヌス帝の勝利を記念して、コンスタンティヌスの凱旋門が建てられた。

  • AD 324年、東の正帝リキニウスを破ったコンスタンティヌス帝が、ビザンティオンに新しい首都コンスタンティヌス(現在のイスタンブール)の建設を始めた。

  • AD 349年、コンスタンティヌス帝がサン・ピエトロ大聖堂を建設した。(但し、今のサン・ピエトロ大聖堂は17世紀に建設されたもの。)

  • AD 380年、皇帝テオドシウスの勅令により、キリスト教がローマ帝国の国教とされた。同時に勅令はローマ教会の司教の権威をも認めていた。

  • AD 395年、テオドシウス帝の死後、ローマ帝国は東西に分割された。西ローマ帝国は先帝の次男であるホノリウス帝に与えられた。

  • AD 410年、アラリクスが率いる西ゴート族がローマを包囲。彼らは三日間に渡ってローマで略奪を行った。

  • AD 452年、アッティラが率いるフン族がローマに進撃。しかし、教皇レオ1世の説得によりフン族は軍を引いた。その結果、ローマ教会の司教(すなわち教皇)の権威が更に高められた。

    ちなみに、フン族の侵入による混乱を避けた人々がイタリア北部のラグーンに移り住み、後のヴェネツィアの発祥となった。

  • AD 455年、北アフリカに王国を築いたヴァンダル族のガイセリックの部隊がローマを襲撃した。

  • AD 472年、スエヴィ族のリキメルがローマを占領した。

  • AD 476年、西ローマ帝国滅亡


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