ヴァティカンのスイス衛兵バロックの巨匠ベルニーニが設計したサン・ピエトロ広場を歩き回った後、いよいよサン・ピエトロ大聖堂(大寺院)へ向かう。その大聖堂の左右を固めているのが、右の画像に写っているスイス衛兵。中世そのままの格好に、昔ながらの槍を持っているんだ。 永世中立国スイスといえば「平和」のイメージがあるかもしれないけど、中世の頃からスイスは各国に傭兵を送り出してきた。 フランス革命の際にルイ16世とマリ・アントワネットが処刑された際にも、フランス王家を守っていたのは、スイスの傭兵だった。(ちなみに、フランス革命の際に王家を守って亡くなったスイス傭兵を記念する「ライオン記念碑」がスイスの湖畔の街ルツェルンに残されている。) サン・ピエトロ大聖堂の入口は右側にそんなスイス衛兵を横目に見ながら(ウソ !! デジカメを向けながら)サン・ピエトロ大聖堂に入ろうとすると、係りの男に制止された。私たちが入ろうとしたのは出口なんだそうな。サン・ピエトロ大聖堂の入口は、広場から大聖堂を見て右手にあるんだって。それならそうと早く言えよ !!
ヴァティカン宮殿のブロンズの大扉サン・ピエトロ広場を回って、今度は右手からサン・ピエトロ大聖堂に向かう。その途中で見かけたのが右の画像にあるヴァティカン宮殿の大扉なんだ。この17世紀に作られたブロンズの大扉は、ベルニーニによってここに設置されたんだって。その奥にあるのは、「コンスタンティヌス帝の通路」。私たちは入ることが出来ないけどね。 西暦1506年創設のスイス衛兵隊サン・ピエトロ大聖堂の入口はすぐそこなんだけど、ついでだからスイス衛兵隊の話を続けちゃおう。このスイス傭兵による衛兵隊を西暦1506年に創設したのは、現在のサン・ピエトロ大聖堂の建設を命じた教皇ユリウス5世だった。但し、左の画像にあるスイス衛兵の制服を定めたのは、メディチ家出身の法王レオ10世かクレメンス7世なんだろうね。というのも、制服の色である青・黄・赤は、メディチ家の色だというからね。 スイス衛兵の記念日 5月6日そのメディチ家出身の教皇クレメンス7世の時代、神聖ローマ帝国の皇帝カール5世の軍がローマを劫略したことがあった。教皇クレメンス7世が通路を通ってサン・タンジェロ城砦へと逃げる間、スイス衛兵たちは皇帝の軍を食い止めて戦い、ついに全滅してしまった。それが西暦1527年5月6日なんだけど、スイス衛兵隊では今でも5月6日を記念日として式典を行っているんだそうな。
All rights reserved このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。
|