東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「マルタ 聖ヨハネ騎士団の島」

03. ヴァレッタ散策 -1. (マルタ)

マルタの首都ヴァレッタの散策に出発

マルタ共和国の首都ヴァレッタ市内にあるホテルに入った後、テラスのバーでビールを飲みながら景色を眺めていた。とはいえ、今回は3泊4日という短い旅だ。今日のうちに少しは観光しておこうかな。

首都ヴァレッタとスリー・シティーズの略図(マルタ共和国)

というわけで、アッパー・バラッカ公園の近くにあるホテルを出て、ヴァレッタ(上の略図を参照)市内の散策に出かけた。

ヴァレッタには坂が多い

西暦1565年のオスマン・トルコ軍によるマルタ島攻囲(グレート・シージ)の翌年から建設が始まった要塞都市ヴァレッタは、グランド・ハーバーとマルサイムシェット・ハーバーに挟まれたシベラス半島の丘の上にある。というわけで、街には下の画像のような坂道が多いんだ。

首都ヴァレッタの坂道(マルタ共和国)

でも、都市計画に基づいて建設された首都ヴァレッタの道路は、平安京からの歴史を持つ京都と同様に碁盤目状になっている。片手に地図さえ持っていれば、土地に不慣れな旅行者でも歩きやすいのが有り難いね。しかも、ヴァレッタの南西の入口にあるバス・ターミナルから北東端の聖エルモ城砦までの距離も 1.4kmほどなんだ。歩いて周るのにちょうど良い街のサイズだよね。

聖ヨハネ騎士団ゆかりの首相官邸

そんな首都ヴァレッタの一画にあるマルタ共和国の首相官邸が下の画像なんだけど、この建物が聖ヨハネ騎士団ゆかりのものだったりする。

首都ヴァレッタにある首相官邸(マルタ共和国)

聖ヨハネ騎士団の騎士たちはその出身地域によってグループ(「ラング」と呼ばれる)を作り、各ラングはそれぞれの騎士館(「オーベルジュ」と呼ばれる)を持っていた。そしてカスティーリャとポルトガルの出身の騎士たちのラングが要塞都市ヴァレッタに西暦1574年に完成させたオーベルジュが、今の首相官邸だった。

西暦1530年に皇帝カール5世からマルタ島を与えられた聖ヨハネ騎士団なんだけど、西暦1798年にはエジプト遠征に向かうナポレオンによって島から追い出されてしまった。西暦1800年にはイギリスがマルタ島を占領し、かつてはカスティーリャとポルトガルの騎士たちのオーベルジュだったこの建物は、西暦1805年からはイギリス軍部隊の司令部になっている。

そして第二次世界大戦中の西暦1940年から1942年にかけてはドイツ軍やイタリア軍がマルタ島に空爆などを行ったんだけど、この建物も甚大な被害を蒙っている。そして西暦1964年にマルタがイギリス支配から独立した後、西暦1972年からこの建物は首相官邸になったんだそうな。

イタリアの騎士たちが築いた聖カテリーヌ教会

首相官邸のすぐ近くにあるのが、聖カテリーヌ教会(下の画像)なんだ。この教会は聖ヨハネ騎士団のイタリア出身の騎士たちによって西暦1576年に建てられたんだそうな。そんな歴史の故にか、今でもマルタ島に住むイタリア人たちはこの聖カテリーヌ教会で礼拝を行うんだそうな。

首都ヴァレッタにある聖カテリーヌ教会(マルタ共和国)

ところで、この教会が捧げられている聖カテリーヌ(あるいはイタリア語らしく聖カタリナ)なんだけど、正しくはアレクサンドリアの聖カテリーヌなんだそうな。3世紀から4世紀の人物で、皇帝マクセンティウスの迫害によって殉教したと伝えられている。(ちなみに、マクセンティウスは皇帝コンスタンティヌスに敗死。)

紛らわしいことに、シエナの聖カテリーヌと呼ばれる女性もいる。こちらは14世紀の人物なんだけど、西暦1999年に教皇ヨハネ・パウロ2世によってヨーロッパの守護聖人とされているんだ。但し、このマルタ島のヴァレッタにある聖カテリーヌ教会とは関係ないみたいだけどね。


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