東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「マルタ 聖ヨハネ騎士団の島」

08. ビーギから眺めたヴァレッタなどの城砦(マルタ)

カルカーラの海辺から眺めたヴィットリオーザとヴァレッタ

ヴァレッタのバス・ターミナルで乗り込んだバスを降りたのは、ヴィットリオーザの丘の上だった。が、歩き始めた私が向かったのは、北東にあるカルカーラの街。カルカーラや更に先にあるビーギの海辺から、ヴァレッタやスリー・シティーズの城砦を眺めようと思ったんだ。

カルカーラの海辺から眺めたヴィットリオーザ(ビルグ)とヴァレッタ(マルタ共和国)

そして、まずはカルカーラの海辺からの眺めが上の画像だね。画像の右側、遠くに見えているのはマルタの首都ヴァレッタ。対して画像の左手に見えているのは、聖アンジェロ城砦のあるヴィットリオーザ(旧名ビルグ)の付け根の部分かな。その先端にある聖アンジェロ城砦を眺めるには、カルカーラから更に北西にあるビーギの海辺まで行く必要があるみたい。

ビーギから眺めた聖アンジェロ城砦

というわけで、スリー・シティーズを構成する三つの街の一つであるヴィットリオーザ(ビルグ)の北東にあるカルカーラの街の海辺を更に進み、やがてビーギの岬に至る。

ビーギから眺めたヴィットリオーザ(ビルグ)の聖アンジェロ城砦(マルタ共和国)

そのビーギの岬から、カルカーラ・クリークの海を挟んで対岸に見えたのが、上の画像にある聖アンジェロ城砦なんだ。ヴァレッタのホテルにチェック・インした日も、そして今朝も、ホテルのテラスから聖アンジェロ城砦を眺めた。でも、側面からの眺めもまた興味深いよね。

目の前にある聖アンジェロ城砦は、オスマン・トルコ軍のマルタ攻囲を撃ち破った後に修復・改築・増強されたもの。でも、ヴァレッタ建設までここに聖ヨハネ騎士団の中枢があったんだね。

ヴァレッタが建設されたシベラス半島の高地

そんな聖アンジェロ城砦から目線を右に移動する。そこに見えていたのが、下の画像の風景。ヴァレッタのあるシベラス半島の中央部、ちょいと標高の高い高地部分だね。

ビーギから眺めたヴァレッタ(マルタ共和国)

西暦1565年にマルタ島に上陸したオスマン・トルコ軍は、このシベラス半島の高地に大砲を並べた。そこから半島の先端にある聖エルモ城砦に砲弾の雨を降らせたんだ。そんな猛攻に1ヶ月近く耐えた聖エルモ城砦だったけれども、やがて陥落している。(ちなみに、この聖エルモ城砦は第2次世界大戦中にドイツ軍・イタリア軍の空爆の目標となっていた。)

その二の舞を避ける為に、聖ヨハネ騎士団の騎士団長ジャン・ド・ヴァレットはシベラス半島の高地部分をも取り込んだ要塞都市ヴァレッタを建設することにしたわけだ。

ビーギの北にあるリカゾーリ城砦

歩き続けてビーギの岬の先端を目指す。そこからならば聖エルモ城砦も聖アンジェロ城砦もよく見えるはず。ところが、ビーギの岬の先端の丘を登る道には鉄格子。行き止まりだ。ここから先には行けないみたい。

ビーギから眺めたリカゾーリ城砦(マルタ共和国)

そんなビーギの丘の上から眺めたリカゾーリ城砦が上の画像。ヴァレッタとスリ・シティーズの間のグランド・ハーバーの入口にある城砦なんだ。でも、道は行き止まりになっているし、これ以上は近づくことができない。引き返して、スリー・シティーズを歩くことにしよう。


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