バスでラバトに向かうマルタ共和国の首都にして要塞都市であるヴァレッタの先端にある聖エルモ城砦を見て歩き、更には聖ヨハネ騎士団ゆかりのイン・ガーディアも見た。というわけで、ホテルに戻って昼寝でもしようかな ・・・ という誘惑にかられながらも、自分をなだめてバス・ターミナルに向かった。そのバス・ターミナルのチケット売り場の窓口が閉まっている。バスの扉も閉まっていて、運転手も見かけない。昼の1時前だし、皆さん、昼休みなのかな。仕方ない。近くのパブで気に入りのマルタのビール CISK を飲みながら待つ。やがて運転手さんが戻ってきたのは1時半過ぎだった。
バスに乗り込み、行き先を確認した上で料金を払った。間もなくバスは出発。運転手氏はまるで暴走族だった。左手をギアから離そうとせず、ギア・シフトしながら急加速している。おかげで2時にはラバトに到着。
ラバトの聖パウロ教会このラバトという街は、マルタ島の古都イムディナと隣接している。イムディナを兄とすれば、ラバトは弟のような存在なんだ。イムディナが貴族の街ならば、ラバトは庶民の街だと言われる。ちなみに、「ラバト」という言葉は「郊外」を意味しているらしい。古都イムディナの郊外ということみたい。そんなラバトの街で探したのはレストランあるいは食堂。パブでもいいよ。ところが、営業している店は1軒も無かった。入口が開いている店で尋ねてみたんだけど、ちょうど閉めるところだと ・・・ 。既に2時を過ぎているからね。結局、お昼を食べ損なった。仕方なく空きっ腹を抱えてラバトの観光を始めた。
やって来たのは、上の画像にある聖パウロ教会。西暦1572年に建設されたという歴史ある教会なんだそうな。但し、今の建物は17世紀に再建されたものらしいけどね。その聖パウロ教会なんだけど、残念ながら入口は閉じられていた。中に入ることはできなかったよ。
ラバトにあるカタコンベ(地下教会)聖パウロ教会のすぐ近くには、聖パウロのカタコンベ(地下墓地)がある。4世紀から5世紀にかけてのものなんだそうな。その中を歩くことは出来た。でも、そこでシャッターを押す勇気は無かった。というわけで、下の画像はその入口の様子。
また、ラバトにある聖アガサ教会にもカタコンベ(地下墓地)がある。迫害を逃れてきた聖アガサがそこに隠れ住んだという話もある。いずれのカタコンベ(地下墓地)も、この地におけるキリスト教信仰が長い歴史があることを示しているよね。
ラバトで見かけた労働党のオフィスラバトの街を歩いている時に見かけたのが、下の画像にある労働党のオフィスだった。(ビルの上に掲げられているのは、マルタ共和国の国旗だね。)
西暦1798年にエジプト遠征に向かうナポレオンに聖ヨハネ騎士団が屈服し、マルタ島はフランスの支配下に入った。ところが、西暦1800年にはイギリスが島を奪い取っている。そんなイギリスの統治からマルタが独立したのは西暦1964年のこと。その後、西暦1974年には共和制となり、国民党と労働党の二大政党が交互に政権を担っているんだそうな。西暦2013年3月の総選挙からは、労働党が政権を握っている。
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