セビリアにある万博会場跡のアメリカ館旅の2日目の朝。良い天気だ。青空が広がっている。スペイン南部アンダルシア地方の空の青さは、イギリスの首都ロンドンの空とはまったく違っているね。
そんなセビリアのホテルを出て、まずやってきたのは、スペイン広場を中心とする万博会場跡。その一角にあるアメリカ館が上の画像なんだ。正確にはアメリカ広場ムデハル館というらしいけどね。
ところが、キリスト教徒支配下のスペインにイスラム教徒は残っていた。やがて彼らはハプスブルク家のスペイン王カルロス1世(皇帝カール5世)の時代には強制的にカトリックに改宗させられてモリスコと呼ばれるようになった。更にはスペイン王フェリペ2世の時代には厳しく異端審問の対象とされた。そして西暦1609年、スペインのモリスコは追放されてしまった。
セビリアの万博会場跡の公園下の画像はセビリアの万博会場跡を整備した公園の様子なんだ。今日はイースターの連休の土曜日だし、天気も良いし、地元の人々も家族連れで公園を散歩しているみたい。
ここで万博が開催されたのは、西暦1929年のこと。「イベロ・アメリカ博覧会」という万博が開催されたんだそうな。
セビリアのスペイン広場西暦1929年に開催されたセビリアの万博会場跡の中心となっているのが、昨夜も散歩したスペイン広場なんだ。
上の画像に見える立派なムデハル様式の建物も残されている。このスペイン広場の建物では、いくつかの映画の撮影なども行われたんだそうな。
スペイン広場のタイルに見るスペイン各地の歴史地元の人々も海外からの観光客も集まるセビリアのスペイン広場の建物は、多くの華やかなタイルで飾られている。それぞれのタイルは、スペイン各地の歴史を描いているんだそうな。下の画像のタイルもその一つなんだけど、その中にはセビリアの紋章が描かれている。その紋章の下部には、ちょいと読みにくいんだけど「NO8DO」と書いてある。どういう略なのかはわからないんだけど、これがセビリアのモットーで、「セビリアは決して私を見捨てなかった」という意味らしい。
後で調べたところでは、後ウマイヤ朝の古都コルドバを奪還したフェルナンド3世の息子のカスティーリャ王アルフォンソ10世の言葉らしい。彼の晩年に息子が反乱を起こし、多くの都市が息子の側についたんだけど、セビリアはアルフォンソ10世に従い続けたんだそうな。
スペインの絵柄タイルと言えば、ポルトガルのアズレージョだよね。どちらもイスラム教徒がもたらしたものから発達したわけだ。それから数百年後の西暦1503年、大航海時代最盛期のポルトガル王マヌエル1世がセビリアを訪れた。帰国後、彼はセビリアに大量の絵柄タイルを発注したらしい。その絵柄タイルがポルトガルのアズレージョに影響したんだそうな。ちなみに、マヌエル1世が取り寄せた絵柄タイルのアズレージョは、ポルトガル王家ゆかりのシントラの王宮に残されているんだ。
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