東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「アンダルシアの古都めぐり(スペイン)」

セビリア、コルドバ、グラナダを見て歩いた旅

02. セビリアのスペイン広場

セビリアにある万博会場跡のアメリカ館

旅の2日目の朝。良い天気だ。青空が広がっている。スペイン南部アンダルシア地方の空の青さは、イギリスの首都ロンドンの空とはまったく違っているね。

スペイン南部アンダルシア地方の古都セビリアにある万博会場跡のアメリカ館(アメリカ広場ムデハル館)

そんなセビリアのホテルを出て、まずやってきたのは、スペイン広場を中心とする万博会場跡。その一角にあるアメリカ館が上の画像なんだ。正確にはアメリカ広場ムデハル館というらしいけどね。

「ムデハル」というのは、8世紀初頭にイスラム教徒に征服されたイベリア半島において、レコンキスタ(国土回復運動)を進めたキリスト教徒が支配領域を広げていったよね。そんなイベリア半島のキリスト教徒支配下に住むイスラム教徒のことなんだそうな。

他方で、イベリア半島のイスラム教徒支配地域に住む言葉や文化がアラブ化したキリスト教徒のことをモサラベと呼んだらしい。といっても、カトリック両王(カスティーリャ女王イサベル1世アラゴン王フェルナンド2世)によって西暦1492年にグラナダが陥落してレコンキスタ(国土回復運動)が完了した時点で、スペインにはイスラム教徒支配地域は亡くなっている。その時点でモサラベはいなくなったわけだ。

ところが、キリスト教徒支配下のスペインにイスラム教徒は残っていた。やがて彼らはハプスブルク家のスペイン王カルロス1世(皇帝カール5世)の時代には強制的にカトリックに改宗させられてモリスコと呼ばれるようになった。更にはスペイン王フェリペ2世の時代には厳しく異端審問の対象とされた。そして西暦1609年、スペインのモリスコは追放されてしまった。

セビリアの万博会場跡の公園

下の画像はセビリアの万博会場跡を整備した公園の様子なんだ。今日はイースターの連休の土曜日だし、天気も良いし、地元の人々も家族連れで公園を散歩しているみたい。

スペイン南部アンダルシア地方の古都セビリアにある万博会場跡

ここで万博が開催されたのは、西暦1929年のこと。「イベロ・アメリカ博覧会」という万博が開催されたんだそうな。

ところが、その万博が開催されて数年後の西暦1936年にはスペイン内戦が始まっている。ピカソが「ゲルニカ」を描いた惨事が起こった内戦だね。そんなスペイン内戦で勝利を得たフランコ総統が始めた独裁政治は西暦1975年まで続き、その後は王政復古によってフアン・カルロス1世がスペイン国王に即位したわけだ。

ちなみに、その後の西暦1992年にはコロンブスの新大陸発見から500周年を記念して、セビリア万博が開催されている。このセビリアは、新大陸とスペインとの貿易の独占的な窓口だったんだ。

セビリアのスペイン広場

西暦1929年に開催されたセビリアの万博会場跡の中心となっているのが、昨夜も散歩したスペイン広場なんだ。

スペイン南部アンダルシア地方の古都セビリアにある万博会場跡のスペイン広場

上の画像に見える立派なムデハル様式の建物も残されている。このスペイン広場の建物では、いくつかの映画の撮影なども行われたんだそうな。

スペイン広場のタイルに見るスペイン各地の歴史

地元の人々も海外からの観光客も集まるセビリアのスペイン広場の建物は、多くの華やかなタイルで飾られている。それぞれのタイルは、スペイン各地の歴史を描いているんだそうな。

下の画像のタイルもその一つなんだけど、その中にはセビリアの紋章が描かれている。その紋章の下部には、ちょいと読みにくいんだけど「NO8DO」と書いてある。どういう略なのかはわからないんだけど、これがセビリアのモットーで、「セビリアは決して私を見捨てなかった」という意味らしい。

スペイン南部アンダルシア地方の古都セビリアにある万博会場跡のスペイン広場を飾るタイル

後で調べたところでは、後ウマイヤ朝の古都コルドバを奪還したフェルナンド3世の息子のカスティーリャ王アルフォンソ10世の言葉らしい。彼の晩年に息子が反乱を起こし、多くの都市が息子の側についたんだけど、セビリアはアルフォンソ10世に従い続けたんだそうな。

但し、アルフォンソ10世は息子サンチョ4世にカスティーリャ王位を奪われ、晩年は追放されてセビリアで亡くなったんだそうな。そんなアルフォンソ10世の言葉をモットーにするくらいだから、紋章の中に描かれているのもアルフォンソ10世の姿なんだろうね。

ついでながら、そんなセビリアのモットー「NO8DO」の真ん中にあるのは、数字の「8」ではなくて、糸巻きを描いたものなんだそうな。

スペインの絵柄タイルと言えば、ポルトガルのアズレージョだよね。どちらもイスラム教徒がもたらしたものから発達したわけだ。それから数百年後の西暦1503年、大航海時代最盛期のポルトガル王マヌエル1世がセビリアを訪れた。帰国後、彼はセビリアに大量の絵柄タイルを発注したらしい。その絵柄タイルがポルトガルのアズレージョに影響したんだそうな。ちなみに、マヌエル1世が取り寄せた絵柄タイルのアズレージョは、ポルトガル王家ゆかりのシントラの王宮に残されているんだ。


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