東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「アンダルシアの古都めぐり(スペイン)」

セビリア、コルドバ、グラナダを見て歩いた旅

03. セビリアのヒラルダの塔

セビリアのヒラルダの塔はモスクのミナレット(尖塔)だった

続いて歩いたのは、セビリア大聖堂のナランハの庭(オレンジの庭)だった。その庭から見上げた風景が下の画像なんだけど、大聖堂の建物の向こうに高くそびえているのはヒラルダの塔(鐘塔)なんだ。

スペイン南部アンダルシア地方の古都セビリアにあるヒラルダの塔

セビリアでヒラルダの塔の建設が始まったのは西暦1184年のこと。完成したのは西暦1198年だった。当時のセビリアはイスラム教徒支配下のアンダルシア地方でも最大の街であり、ヒラルダの塔はモスクのミナレット(尖塔)として建てられたものだった。

ところが、西暦1236年にかつての後ウマイヤ朝の古都コルドバを奪回したカスティーリャ王フェルナンド3世は、更にアンダルシア地方を舞台にレコンキスタ(国土回復運動)を進め、西暦1248年にはセビリアの街もキリスト教徒軍に降伏してしまった。セビリアの街のモスクはキリスト教の教会とされ、ヒラルダの塔は教会の鐘塔とされてしまった。

ヒラルダの塔から見下ろしたセビリアの大聖堂

イスラム教徒のモスクからキリスト教徒の教会とされた建物は、14世紀に地震によってひどく壊れたらしい。そこで西暦1401年から新しい建物の工事が始まっている。やがて完成したのがセビリアの大聖堂なんだけど、下の画像はヒラルダの塔の上から見下ろした大聖堂の屋根なんだ。

スペイン南部アンダルシア地方の古都セビリアにあるヒラルダの塔から眺めた大聖堂の屋根と街並み

ヒラルダの塔の高さは105メートルもあるんだそうな。そんなヒラルダの塔の中の螺旋状のスロープを頑張って歩けば、高さ70メートルまで登ることが出来る。そこから古都セビリアの眺めを楽しむことが出来るわけだ。

ヒラルダの塔からセビリアの街を眺めた

下の画像もヒラルダの塔から眺めたセビリアの街の様子なんだけど、画像の中の左の方に見えている斜めに立つ白い柱は、グアダルキビル川にかかるアラミロ橋のもの。西暦1992年にコロンブスの新大陸発見から500年を記念して開催されたセビリア万博の際に架けられた橋なんだそうな。(さっき見たスペイン広場は西暦1929年の万博の際のもの。)

スペイン南部アンダルシア地方の古都セビリアにあるヒラルダの塔から眺めた街並み

アラミロ橋が架かるグアダルキビル川を遡り、大航海時代には船がセビリアまで遡って来ていた。当時の新大陸とスペインとの間を行き交う船は、必ずセビリアに来ることが義務付けられていたんだそうな。

つまり、スペイン王カルロス1世(皇帝カール5世)スペイン王フェリペ2世を支えた新大陸の冨がセビリアに集まってきていたんだ。当然ながら、その頃のセビリアは繁栄の極みにあったわけだ。

ついでながら、西暦1571年のレパントの海戦で負傷したセルヴァンテス(後に小説「ドン・キホーテ」を著す)は、16世紀末までセビリアで働いていた。スペイン海軍の食糧を調達したり、税金を徴収したりしていたらしい。その徴税のトラブルでセビリアで刑務所に入ったこともある。その刑務所の中で「ドン・キホーテ」の構想が浮かんだらしいけどね。

やがて、新大陸との貿易におけるセビリアの独占は廃止され、街は衰退し始めた。更に西暦1649年にはペストの流行によって人口が半減し、セビリアの衰退に拍車がかかったらしい。ちなみに、14世紀半ばにマルセイユから始まったペスト(黒死病)の流行が有名だけど、その後もヨーロッパは何度かペストに襲われているんだ。

その後、18世紀から始まったセビリアの産業化により、19世紀にはセビリアの復興が進んだらしい。そして西暦1929年にセビリアで万博(イベロ・アメリカ博覧会)が開催されたわけだ。でも、西暦1936年にスペイン内戦が始まると、軍が反乱を起こしたモロッコに近いスペイン南部アンダルシア地方の街セビリアは、真っ先に反乱軍に占領されちゃったらしい。

ヒラルダの塔から見下ろしたナランハの庭(オレンジの庭)

そして下の画像は、ヒラルダの塔から見下ろしたナランハの庭(オレンジの庭)なんだ。このページの冒頭にある画像のヒラルダの塔もナランハの庭を歩きながら撮影したもの。

スペイン南部アンダルシア地方の古都セビリアにあるヒラルダの塔から見下ろした大聖堂のナランハの庭(オレンジの庭)

大聖堂にこんな庭があるのは風変わりなんだけど、このセビリアの大聖堂は元々はイスラム教徒のモスクの建物を建て直したものだから、その配置を残しているというわけだね。では、次のページではセビリアの大聖堂(世界遺産にもなっている)を御案内するかな。


次のページは 「04. セビリアの大聖堂」



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