東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「アンダルシアの古都めぐり(スペイン)」

セビリア、コルドバ、グラナダを見て歩いた旅

05. コルドバに到着

後ウマイヤ朝の古都コルドバ遠望

スペイン南部アンダルシア地方の古都セビリアの大聖堂(世界遺産)を見て、バスに乗り込む。乾いた大地を走る道の両側には、ヒマワリ畑が延々と続いている。種から油を採る為に栽培しているんだそうな。

やがて到着したのは後ウマイヤ朝の古都コルドバ。グアダルキビル川の向こうにはメスキータも見えている。このコルドバのメスキータは明日ゆっくりと見て歩くことになっているんだ。

スペイン南部アンダルシア地方の古都コルドバを流れるグアダルキビル川の向こうのメスキータを遠望

メスキータからこちらに向かってグアダルキビル川に架かっているのはローマ橋。2000年ほど前、この街が古代ローマ帝国の支配下にあった頃から人々が渡ってきた橋なんだそうな。古代ローマ帝国は土木建築が得意で、今もあちこちに水道橋が残っているよね。スペインのセゴビアにも水道橋があるし、フランス南部プロヴァンス地方にはポン・デュ・ガールもある。

ちなみに、この古都コルドバのメスキータの場所には、古代ローマ帝国時代にも神殿があったんだそうな。その後、イスラム教徒が侵攻してくる前の西ゴート王国の時代には、そこにはキリスト教の聖ヴィアンテ教会があったらしい。イスラム教徒がイベリア半島に侵攻してきた後、その聖ヴィアンテ教会はイスラム教徒のモスクとされたんだそうな。そして今のメスキータとなっている。

古都コルドバのユダヤ人街

古都コルドバ市内のホテルに到着し、部屋に入る。昨日のセビリア到着の際のホテルのようなトラブルは無し。ホテルのレストランで早めの夕食を済ませ、ちょいと街を散歩。

スペイン南部アンダルシア地方の古都コルドバに残るユダヤ人街の門

やってきたのは、コルドバ市内にある昔のユダヤ人街。上の画像はその門なんだ。カトリック両王によってスペイン南部アンダルシア地方の街グラナダが陥落した後には、イベリア半島のユダヤ人は改宗させられたり追放されたりの苦労をしている。ハプスブルク家のスペイン王カルロス1世(皇帝カール5世)やその息子のフェリペ2世も異端審問などを厳しく行ってカトリックの擁護に徹したわけだ。イスラム教徒もカトリックへの改宗を強制され、厳しく異端審問の対象とされ、挙句の果てには全てのモリスコはスペインから追放されてしまった。

古都コルドバのユダヤ人街の花の小路

後ウマイヤ朝の古都コルドバのユダヤ人街の中には、花の小路と呼ばれる通りがある。

スペイン南部アンダルシア地方の古都コルドバに残るユダヤ人街の花の小路を彩る花々

上の画像のように白壁の家々が並び、無数の花が眼を楽しませてくれるんだ。陰惨なユダヤ人に対する迫害なんて無かったかのように見える可愛い通り ・・・ なんだけどね。

アラビア語やヘブライ語の文献を翻訳したユダヤ人たち

ところで、古都セビリアスペイン広場で見たセビリアのモットー「NO8DO」(セビリアは決して私を見捨てなかった)を残したカスティーリャ王アルフォンソ10世を覚えているかな。イスラム教徒の支配からセビリアやコルドバを奪回したスペインのレコンキスタ(国土回復運動)の英雄フェルナンド3世の息子だね。

そのカスティーリャ王アルフォンソ10世は、多くのユダヤ人の学者を古都トレドに集めた。そのユダヤ人たちにアラビア語やヘブライ語の文献をラテン語やカスティーリャ語に翻訳させたんだそうな。その甲斐があって、アルフォンソ10世は法律や天文学・占星術などで業績を残し、アルフォンソ賢王とも呼ばれているんだそうな。

但し、晩年には自分の息子に王位を奪われ、追放されてセビリアで亡くなったらしいけどね。勉強ばかりじゃダメってことかな。文武両道を目指さないといけないわけだ。


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