古都コルドバのメスキータの貴賓席の華やかな装飾後ウマイヤ朝の首都たるコルドバが世界最大の都市になるまでに成長し、そのメスキータ(モスク)にはカリフたち支配者の為の貴賓席も設けられていた。その貴賓席への入り口の上の様子が下の画像なんだけど、その装飾の華やかなこと。当時のアンダルシアのイスラム教徒の支配者たちの栄華を示しているよね。
ところが、おごったかどうかは知らないんだけど、後ウマイヤ朝は久しからず。アル・マンスールの支配の後、西暦1031年には後ウマイヤ朝は断絶してしまったんだ。その後のスペイン南部アンダルシア地方は、時にムラービト朝やムワッヒド朝の支配下に入ったものの、多くの小王国に分裂することになってしまった。 キリスト教徒が古都コルドバを奪還し、メスキータは教会に分裂したイスラム教徒のスペイン南部アンダルシア地方の小王国の一つが古都コルドバだった。でも、スペイン北部からはレコンキスタ(国土回復運動)の戦いを続けるキリスト教徒たちが南下していた。西暦1236年、後ウマイヤ朝の古都コルドバはキリスト教徒に奪還され、メスキータもキリスト教徒の為の教会とされたんだそうな。(下の画像は今のコルドバのメスキータの中の礼拝堂。)
キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)はコルドバ奪還の後も進められた。西暦1238年にはヴァレンシアが征服され、西暦1248年にはセビリアが陥落。イスラム教徒によるイベリア半島進出の入り口となったジブラルタルも西暦1309年に陥落している。
古都コルドバのメスキータに大聖堂そんなナスル朝が滅亡したのは西暦1492年のこと。スペインのカトリック両王(カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世)に攻められ、グラナダが陥落した。その時点でスペインのレコンキスタ(国土回復運動)が完了したわけだ。
その後、カトリック両王の孫にあたるハプスブルク家のスペイン王カルロス1世(皇帝カール5世)の時代に、この古都コルドバのメスキータの中にキリスト教の大聖堂(上の画像はその祭壇)が建てられた。
そして西暦1609年、スペインのモリスコ(カトリックに改宗したイスラム教徒)は追放されることがフェリペ3世によって決定された。そのモリスコ追放によって多くの知識人・芸術家・技術者・労働者を失ったスペインの産業は停滞してしまったんだ。
古都コルドバのメスキータと現代のイスラム教徒16世紀から17世紀にかけて、スペインではかつてのイスラム教徒に改宗を強制し、あるいは追放を行った。日本では隠れキリシタンが江戸時代の終わりまで信仰を守り続けたけど、スペインでも同様に隠れイスラム教徒が現代までも信仰を保ったケースがあるんだろうか。いずれにせよ、今のスペインには少なくないイスラム教徒がいるみたい。アフリカ北部からの移民だったり、あるいは密入国者だったりするんだろうけどね。 そんなスペインのイスラム教徒は、古都コルドバのメスキータ(モスク)で礼拝を行うことを希望しているらしい。イタリアのローマにある教皇庁やスペインのキリスト教会に対して、コルドバのメスキータでイスラム教徒が祈ることを認めるように要望しているんだそうな。その望みはかなえられていないらしいけどね。 他方、西暦2010年には古都コルドバのメスキータで事件が起こった。100人あまりの外国の観光客がメスキータにやってきた。彼らはヨーロッパに住むイスラム教徒だった。その中の何人かが跪いて祈りを捧げ始めた。守衛がやって来て、観光を続けるか、あるいは外へ出るようにと言ったらしい。祈りを始めた人たちが守衛を襲い、ケガをさせ、二人が逮捕されてしまったんだそうな。 今ではキリスト教徒の大聖堂となっている古都コルドバのメスキータなんだけど、イスラム教徒の目にはかつてのモスクの頃の面影が濃厚に残されているんだろうね。イスラム教徒に支配されていたスペインは過去なんだけど、現在はその過去の上にある。そして未来は ・・・ 。
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