東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「アンダルシアの古都めぐり(スペイン)」

セビリア、コルドバ、グラナダを見て歩いた旅

09. グラナダのアルハンブラ宮殿 -1. 華麗なイスラム文化

アルハンブラ宮殿の長蛇の列

アンダルシア地方の古都グラナダでパエリャを食べ、お腹も満足。花より団子であるが、団子を食べたら次は花だ。というわけで、次はグラナダの誇るアルハンブラ宮殿に向かう。いや、グラナダの誇る ・・・ というよりもアンダルシア地方の、いやいや、スペインの誇る文化遺産だよね。

そのアルハンブラ宮殿に到着したんだけど、入り口には多くの観光客が長蛇の列をなしている。青空の広がる春の日、それもイースターの連休の日曜日なんだから無理もないよね。宮殿の中に入るにはずいぶん長く待つ必要があるみたい。

でも、今回の私たちの旅はツアーなんだ。現地のガイドさんが既に手続きを済ませていて、私たちは別の入り口から待たずに入ることが出来たよ。ブーイングをしている一般の観光客の皆さんには申し訳ないんだけど、混む時期に観光をするならばツアーが良い場合もあるよね。

スペイン南部アンダルシア地方の古都グラナダのアルハンブラ宮殿のアラヤネスの中庭

そんな観光客に人気のあるアルハンブラ宮殿には見どころが多いんだけど、上の画像にあるアラヤネス宮殿の中庭(天人花の中庭)も見どころのひとつだね。

グラナダ王国とアルハンブラ宮殿の創始者 ムハンマド1世

ジブラルタルからイベリア半島に侵攻したイスラム教徒西ゴート王国を滅ぼした頃から続くアラブの名門の子孫とも言われるムハンマド1世(正しくは、ムハンマド・イブン・ユースフ・イブン・ナスル・イブヌル・アフマルというらしいけど ・・・ )は、西暦1232年にスペイン南部アンダルシア地方の一角で自立した政権を打ち立てたらしい。

一時期は後ウマイヤ朝の古都コルドバセビリアをも支配下に置くほどの勢いがあった。でも、どちらの支配も長続きせず、西暦1237年にグラナダに入っている。その前年にはカスティーリャ王フェルナンド3世のコルドバ征服を支援し、見返りにフェルナンド3世の協力を得たらしい。

ところが、やがてカスティーリャ王フェルナンド3世はムハンマド1世のグラナダ王国を圧迫してきた。やむなくムハンマド1世はフェルナンド3世の宗主権を認め、貢納金を支払うことを受け入れたらしい。しかも、フェルナンド3世がセビリアを征服する際には、グラナダ王国の兵士もフェルナンド3世の軍に従軍させられたんだそうな。

スペイン南部アンダルシア地方の古都グラナダのアルハンブラ宮殿の装飾

そんなムハンマド1世がグラナダでアルハンブラ宮殿の建設を始めたのは西暦1238年のことだった。(上の画像はアルハンブラ宮殿の装飾。イスラム文化の華麗さが見えるよね。)

諸勢力の狭間を生き延びたイスラム教徒のグラナダ王国

グラナダ王国はスペイン南部アンダルシア地方の山間部の守りやすい場所にある。とはいえ、いくつもの条件があってこそグラナダ王国は生き延びることができたみたい。そんな条件の一つが、スペインにおけるカスティーリャ王国とアラゴン王国との対立であり、アフリカ北部のマリーン朝のスペインへの干渉だった。

グラナダ王国は周囲の有力な勢力の狭間を遊泳し、ぎりぎりの外交を行いながら生き延びたんだね。そんな外交の舞台となったのが、アルハンブラ宮殿の中にある大使の間(下の画像)だったかもしれない。外国の大使を迎える華麗なイスラム文化による装飾を駆使した豪華な大広間だね。

スペイン南部アンダルシア地方の古都グラナダのアルハンブラ宮殿の大使の間

この大使の間やアラヤネスの宮殿を築いたのは、ナスル朝グラナダ王国の7代目の君主ユースフ1世だった。彼は14世紀半ばにマリーン朝と共にカスティーリャとポルトガルの連合軍と戦って敗れ、グラナダ王国は滅亡の危機に瀕したらしい。

ところが、西暦1347年にフランス南部プロヴァンス地方マルセイユに上陸したペスト(黒死病)が広がり、キリスト教勢力もグラナダを攻略することができなかったんだそうな。その間にグラナダ王国は態勢を立て直すことが出来たんだ。でも、ユースフ1世はグラナダで西暦1354年に暗殺されちゃったんだけどね。

更にはキリスト教徒勢力相互間の対立もナスル朝グラナダ王国には有利に働いたよね。例えば、14世紀後半のことなんだけど、カスティーリャ王ペドロ1世とその異母兄のエンリケ2世との間の王継承戦争があった。エンリケ2世を支援したのはフランスのベルトラン・デュ・ゲクランだった。

他方のペドロ1世を支援したのはイギリスの黒太子エドワードだった。そのペドロ1世はナスル朝グラナダ王国とも同盟して戦ったんだ。でも、黒太子の帰国後、カスティーリャ王エンリケ2世が即位したんだ。

アルハンブラ宮殿に見る鍾乳石に似せたムカルナス装飾

大きく脱線しちゃった。話をアルハンブラ宮殿に戻そう。このアルハンブラ宮殿には、下の画像のような装飾が多いみたい。ムカルナスと呼ばれる鍾乳石に似せた装飾で、建物に鍾乳洞のような空間を作るイスラム美術の極致の一つとも言われるんだそうな。

スペイン南部アンダルシア地方の古都グラナダのアルハンブラ宮殿の鍾乳石に似せたムカルナス装飾

そんな鍾乳石のような装飾の下をくぐり、外に出たところにあるのが、グラナダのアルハンブラ宮殿の次の見どころとも言えるライオンの中庭なんだ。次のページでは、そのライオンの中庭を詳しくお見せするかな。


次のページは
「10. グラナダのアルハンブラ宮殿 -2. ライオンの中庭」



ヨーロッパ三昧 トップ・ページ

ヨーロッパの歴史風景

このサイト「ヨーロッパ三昧」には、下の姉妹サイトもあります。ヨーロッパに興味のある方は寄り道してくださいね。

ヨーロッパの歴史風景 バナー このサイト「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイト「ヨーロッパの歴史風景」。ヨーロッパ各国の歴史に重点を置いてある。



Copyright (c) 2012 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。

このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。