アルハンブラ宮殿のライオンの中庭とグラナダ王国の最盛期続いてやって来たのは、下の画像にあるライオンの中庭。アンダルシア地方の古都グラナダのアルハンブラ宮殿を代表する見どころの一つだよね。アルハンブラ宮殿に関する資料や、アンダルシア地方を訪れる旅のパンフレットなどでもこの風景が掲載されることが多いよね。
このライオンの中庭やライオンの宮殿が造営されたのは14世紀の後半、ナスル朝グラナダ王国の最盛期のことなんだそうな。
ライオンの中庭を築いたナスル朝グラナダ王国のムハンマド5世ナスル朝初代のムハンマド1世の時代から始まったグラナダのアルハンブラ宮殿の建設は、その後のナスル朝の王たちによって引き継がれ、改築や拡張が続けられている。その一人が14世紀後半のナスル朝グラナダ王国の支配者ムハンマド5世、つまりライオンの中庭やライオンの宮殿を造営した人物だった。
このムハンマド5世の頃にグラナダ王国は最盛期を迎えたと言われるんだけど、必ずしも彼が有能な君主だったからじゃないみたい。(上の画像はムハンマド5世がアルハンブラ宮殿のライオンの中庭に置いたライオンの噴水の様子。)
陰謀や暗殺の舞台となったグラナダ王国とアルハンブラ宮殿とはいえ、ナスル朝グラナダ王国の君主たちが豊かで平和な暮らしを謳歌していたわけじゃない。むしろ王国の中では陰惨な陰謀や暗殺が続いていたんだそうな。ムハンマド5世の父ユースフ1世はグラナダ市内のモスクで暗殺された。その父イスマーイール1世は従兄弟に暗殺されている。そのイスマーイール1世は自分の叔父ナスルを廃位して自ら王となった。甥によって廃位されたナスルだって、自分の兄であるムハンマド3世を廃位して王位を得た人物だった。
グラナダ王国の王家の人々の陰謀、暗殺、廃位などはその後も続いたらしい。古都グラナダの華麗なアルハンブラ宮殿やモスクなどは、そんな陰惨な企みの舞台でもあったんだね。
スペインのイスラム教徒の最後の拠り所だったグラナダ王国そんな王室内部での争いが続いたナスル朝グラナダ王国だったけれども、ムハンマド5世が西暦1391年に亡くなった後、100年あまりも生き延びることが出来た。というのも、この王国は人材には恵まれていたから。スペインのキリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)が進み、イスラム教徒の居場所は次第に狭められていった。そんな彼らの行き場所はグラナダ王国しかなかったんだ。その結果、小さなグラナダ王国には、進んだアラブの学問を習得した学者、華麗なイスラム文化に育まれた芸術家、高度な灌漑技術を持つ農業技術者、そして精緻な築城技術を持つ軍人たちが集まってきたというわけだ。
上の画像はアルハンブラ宮殿のライオンの中庭の脇に立つ宮殿なんだけど、この華麗な装飾もグラナダ王国に集まった芸術家・職人の技によるものなんだろうね。(このライオンの中庭の宮殿は、ハレムとされていて、王以外の男性は入ることが出来なかったとか。)
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