アルハンブラ宮殿の離宮ヘネラリーフェの水辺の庭園アンダルシア地方の古都グラナダのアルハンブラ宮殿の奥まで進み、最後にやってきたのが離宮ヘネラリーフェだった。そのヘネラリーフェの離宮の水辺の庭園が下の画像なんだ。
このアルハンブラ宮殿の奥には、歴代のナスル朝グラナダ王国の君主によっていくつもの離宮が造営されたらしい。でも、今も残っているのは、このヘネラリーフェの離宮だけなんだそうな。ちなみに、このヘネラリーフェという言葉、アラビア語の「ジャンナトゥル・アリーフ(技術者の庭園)」から来ているらしい。パルタル庭園と同じく、グラナダ王国全盛期の君主ムハンマド3世が造営したんだそうな。
アルハンブラ宮殿の離宮ヘネラリーフェのアセキアの中庭やがて到着したのは、下の画像にあるアセキアの中庭。古都グラナダのアルハンブラ宮殿の離宮ヘネラリーフェの中でも、最も印象的で魅力的な風景だよね。
この風景、中学校か高校か忘れたんだけど、音楽の教科書に載っていなかったかな。ギターの名曲「アルハンブラの思い出」のページにこのアセキアの中庭の写真が掲載されていたと思うんだ。
グラナダ王国陥落後のアルハンブラ宮殿14世紀に造営が始まったアルハンブラ宮殿や離宮ヘネラリーフェがこれほどの状況の良さで残されているなんて、有り難いことだよね。とはいえ、既に失われた部分もあるし、残されている部分についても破壊の危機は何度もあったらしい。西暦1492年にグラナダを陥落させ、コロンブスの新大陸発見を支援したカトリック両王(カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世)の孫にあたるハプスブルク家のスペイン王カルロス1世(皇帝カール5世)は、自分のルネサンス様式の宮殿を建てるためにアルハンブラ宮殿の建物を取り壊しちゃったらしい。彼はコルドバのメスキータの一部を取り壊して、キリスト教の大聖堂を建てることも認めたんだけどね。 続いては西暦1700年に即位してスペイン継承戦争勃発のきっかけを作ったフェリペ5世(フランス王ルイ14世太陽王の孫)なんだけど、彼はアルハンブラ宮殿のイスラム風の部屋をイタリア風に改装しちゃったらしい。ちなみに、彼はスペインの首都マドリッドにあるレティロ公園にもフランス風の花壇を作っちゃったんそうな。 更には、フランス皇帝ナポレオンが西暦1808年にその兄をスペイン王として支配し、対してスペインの人々がフランスに対して独立戦争を続けていた頃にも、アルハンブラ宮殿の建物のいくつかが取り壊された。 やがてフランス皇帝ナポレオンが失脚し、スペインにブルボン家の王が戻って数年後の西暦1821年、アルハンブラ宮殿のいくつかの建物が地震で損壊しちゃった。
そして西暦1828年、古都グラナダの貴重な遺産であるアルハンブラ宮殿の修復が始まった。その修復作業は、担当者の子や孫にまで引き継がれたんだそうな。(上の画像はそんなアルハンブラ宮殿のヘネラリーフェ離宮の花と緑の小路の様子。)
アンダルシアの古都グラナダの夜景というわけで、今回の旅、アンダルシアの古都めぐりのハイライトであるグラナダのアルハンブラ宮殿とヘネラリーフェ離宮を見て歩いたわけだ。そのアルハンブラ宮殿の中には、パラドールもある。が、今夜の私たちの宿はアルハンブラ宮殿からも近いホテル・アルハンブラ・パレス。イースターの連休にアルハンブラ宮殿の中のパラドールなんて取れないよね。
ホテルのレストランで夕食を終え、部屋に戻って窓辺でビールを飲む。スペイン南部のアンダルシア地方といってもまだ4月だし、古都グラナダは山の中だし、外の空気はちょいと冷たい。でも、からっと乾燥して爽やか。ビールが美味いよね。しかも、月は明るく輝いているし、静まりかえった古都の夜景(上の画像)も素敵だよね。
All rights reserved このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。
|