フリードリヒ2世ゆかりのサンスーシ宮殿西暦1945年に日本に対するポツダム宣言が発せられたツェツィリエンホフ宮殿からバスで10分ほどのところにあるサンスーシ宮殿(下の画像)にやって来た。
このサンスーシ宮殿を築いたのは、後にドイツ帝国の皇帝を生み出すホーエンツォレルン家のプロイセン王フリードリヒ2世(大王とも称される)だった。彼の命により、西暦1747年にこの宮殿が完成している。元々は夏の離宮として建てられたものではあったけれども、王はこの宮殿で過ごすことを好み、首都であるベルリンのシャルロッテンブルク宮殿で暮らすことは少なかったらしい。
憂い無き ・・・ サンスーシ宮殿下の画像に見えるように、宮殿には「サンスーシ」と記されている。その意味は「憂いや悩みが無い」ということなんだそうな。哲人王とも称されるフリードリヒ2世のことだから、哲学的な憂いのことを言っているのかとも思われるよね。
が、彼は生涯にわたって多くの病気に悩まされていたらしい。通風、痔、胃痛、心臓発作、リュウマチなどなど。そんな健康に関する憂いや悩みが無くなることを望んでいたんじゃないかとも思えるよね。
サンスーシ宮殿の庭園そんなサンスーシ宮殿の庭園は、パリ郊外のヴェルサイユ宮殿と同様のフランス・バロック様式のものなんだそうな。加えて、下の画像に見えるように、6段に及ぶテラスが設けられているのが特徴なのかな。
余談ながら、上の画像の左端に風車小屋が見えているよね。このサンスーシ宮殿が完成した時、庭園の眺めの中でこの風車小屋が目立っていた。というわけで、フリードリヒ2世は風車小屋を取り壊すようにと命じたらしい。ところが、それでは暮らしていけないと農民が泣きついた。それを耳にした王は風車小屋を残すことを許したんだそうな。
サンスーシ宮殿の古代ローマ遺跡もどきフリードリヒ2世はイタリアが大好きだったらしい。というわけで、サンスーシ宮殿の庭園に設けられた回廊(下の画像)は、イタリアのローマのヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂の列柱廊(ベルニーニの手による)を模したものなんだそうな。
もう一つ余談なんだけど、上の画像の中央、遠くに見える丘の上に古代の遺跡のようなものが見えるかな。小さくて申し訳ないんだけど。あれはフリードリヒ2世が古代ローマの遺跡を真似て作らせたものなんだそうな。ローマのフォロ・ロマーノの遺跡のようなものを目指したのかも。というのも、当時のロココ風の絵画には古代ローマ遺跡が描かれているものが多く、王はそれを自分の宮殿で再現したかったんだそうな。
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