東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

モン・サン・ミシェル と サン・マロ
(フランス)


1995 年 5 月
p. 3/11


3. モン・サン・ミシェルに登る

駐車場近くの城門をくぐり、跳ね橋を渡ってモン・サン・ミシェルに入る。島は城壁・城門・櫓に守られている。

1203 年、フランス王フィリップ・オーギュスト(フィリップ 2 世)が、イングランド支配下のノルマンディーを攻撃した。その際の戦いで、島も被害を被った。王は島の修道院に金貨を与えた。その資金で、島は守りを固め始めたのだそうだ。

1254 年には、フランス王ルイ 9 世(聖ルイ王)が、モン・サン・ミシェルを訪れている。その際、王は島の防備を更に固めるようにと指示したらしい。

百年戦争にイングランド軍が 3 回にわたって島を攻撃しているが、島は陥落しなかった。(特にシェイクスピアの作品でも知られている百年戦争の英雄イングランド王ヘンリー5世が攻勢をかけた際には、モン・サン・ミシェルはイングランド軍の中に孤立し、それでも抵抗を続けたんだそうな。)




モン・サン・ミシェルから海を見る 城壁の脇の石段を登る。次第に視界が開けて来る。そこで撮った写真が右の画像。遠くに小島が見えている。

モン・サン・ミシェルの島は、花崗岩で出来た岩盤である。高さは約 80 m。付近の海域を見渡すことが出来る。

石段を登りきったところに修道院の入り口がある。

かつては著名な修道院だった。だからこそ、多くの巡礼が島を訪れ、また門前町が発達したわけだ。

しかし、西暦1789年に勃発したフランス革命が進行するにつれ、修道院は解散させられ、その財産はフランス革命政府に没収されたんだ。 その後、西暦1790 年から 1863 年にかけて、修道院は刑務所として使われたんだそうな。そして現代では、フランスの誇る大観光地になっている。

モン・サン・ミシェルの回廊 右の画像は、修道院の中にある回廊。

「驚異 La Merveille ラ・メルヴエイユ」と称された修道院の建物の中でも、最も称賛されている部分なのだそうだ。

資料によれば、回廊の 「細い柱はサイコロの 5 の目の形に並べられ ... 互いに位置をずらして置かれた。 ... 対角型アーチが小三角形アーチを ..... 」

(あきらめたんか ?? )
さ、次いこか。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索



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