パリ + ロワール・ノルマンディ・シャルトル (フランス) 2000年9月
2000年9月3日(日)
今朝は5時半に起床。ロンドンから持参のフィルター・コーヒーを飲み、スーパーで買っておいたフランス・パン、ハム、チーズ、トマトで朝食をすませる。身支度を整え、カメラなどを持ち、目薬を指して部屋を出る。もちろん、悲鳴をあげる古い階段はゆっくりと静かに降りる。 ツアー・バスでロワール川めぐり7時15分にはシティ・ラマのオフィスに集合。今日は同社の運営する日本語バス・ツアー「ロワール河巡り」に参加する。本日のツアー客は24名。バスに乗り込み、500kmを走るツアーに出発。9時前にドライブ・インに停車。トイレ休憩だ。
9時40分、ロワール河(下の画像)の南岸に渡る。
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「ロワール渓谷」なんていうから、てっきり両側には山があるのかと思っていたが、平坦な土地を流れるゆったりとした川だ。だからこそ、中世においては船で行き来したのだろうけど...。 そんなロワールを舞台に、イギリスやフランスの中世の王たちが歴史のドラマを繰り広げていたわけだ。 (プランタジネット家のヘンリー2世やその王妃エレアノール、その息子達であるリチャード獅子心王やジョン失地王については、「イングランド南部の旅」のページに詳しい。) |
シャンボール城ロワール河を渡ってからは、森の中の道を走りつづける。ロワール地域で最大のシャンボール城(部屋数440室)の周囲には森が広がっているのだそうだ。16世紀前半のこと、シャンボール城はフランソワ1世の狩猟の館であった。城の周囲の森は王の狩場だった。その森は総延長 32kmの石の壁で囲まれていた。(そのフランス王フランソワ1世は、ハプスブルク家の皇帝カール5世の最大の宿敵だった。) ちなみに現在のシャンボール城はフランス大統領の狩猟場になっているらしい。といっても城で行われるのは狩猟ではなく、その他の催し物。シラク氏は狩猟は好まないらしい。というのは、バス・ツアーのガイドのお話。
シャンボール城に到着したのは10時。うちの奥サンが見たいと念願していた城だ。
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