パリ + ロワール・ノルマンディ・シャルトル (フランス) 2000年9月
私たちを乗せたバスは田園地帯を走りつづける。ロワール流域のこのあたりは農業地帯なんだそうな。アスパラガス、イチゴ、ひまわり、麦、とうもろこしが栽培されている。
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やがてバスはロワール河沿いの道を走り始めた。やがて遠くにブロワの街が見えてきた。人口は5万人。 バスはロワール河を挟んでブロワの街の対岸を走る。 川面に映っているのはブロワ城。ちなみに「ブロワ」とは、ケルト語で狼を意味する。 |
城山の下でパスを降り、歩いて城山に登る。(注意:ブロワ城には大きなバッグを持ち込むことが出来ない。出切れば荷物はバスの中に残しておく方が良い。) 城の入口にはハリネズミが描かれている。これはルイ12世の紋章。また城の内部にはサラマンダー(トカゲ)が描かれている。これはフランソワ1世の紋章なのだそうだ。 余談ながら、そのフランソワ1世。ハプスブルク家の皇帝カール5世の宿敵となったのが、フランス王フランソワ1世。また、パリのルーブル要塞をフランス王家の王宮と定めたのもフランソワ1世なんだそうな。
イタリアに野心を燃やしたフランス王ルイ12世ところで、このページに何度も登場しているフランス王ルイ12世なんだけど、イタリアに大いなる野心を燃やし、一時期は成功しつつもあったみたい。そんなフランス王ルイ12世がイタリアに残した遺産がローマにあるトリニティ・ディ・モンティ教会。そんな教会、知らない ?? ほら、あのローマの観光名所スペイン階段の上にある教会だよ。スペイン階段の風景には、あの教会は大事だよね。 しかしながら、最終的に彼の野望は果たされることはなかった。西暦1513年には、フランス王ルイ12世はミラノの支配を放棄せざるを得なくなっているんだ。
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