東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

パリに住んだ...つもりの 9 日間

パリ + ロワール・ノルマンディ・シャルトル
(フランス) 2000年9月



07. シュノンソー城 (遠望)

12時前にブロワ城を出発し、バスに乗り込む。ロワール河の北岸を西に走る。その川幅は意外に広く、流れも緩やかだ。古来より水運に利用されてきたというのも、うなずけるものがある。

15-16世紀のフランス王室の宮廷は、船を連ねてロワール河流域を移動していた。宮廷が恒常的にパリに置かれるようになったのは、フランスの宗教戦争に勝ち抜いたアンリ4世の頃のこと。(その前に西暦1527年にはフランソワ1世がパリのルーブル要塞を王宮と定めてはいるんだけどね。)

城への道 シュノンソーの村に到着したのが1時。まず村のレストランで昼食をすませる。

ツアー会社が手配していた昼食は、川スズキのクリーム煮と野菜サラダ。付け合せにジャガイモの煮物、豆とベーコン。私の好きな「田舎」風の料理。ワインはもちろんロワールの白だ。(ワインは別料金だけど...。)

村はずれから続くシュノンソーへの道(右の画像)は森の中にある。この森を抜ければ、シュノンソー城が見えてくるはずだ。




「6人の奥方の城」 シュノンソー城

シュノンソー城は「6人の奥方の城」との別名を持っている。16世紀に生きた6人の女性が城の増改築を繰り返し、現在の形になったのだそうだ。

その6人の奥方の中でも著名なのが、ポワティエ夫人とカトリーヌ・ド・メディチ。ポワティエ夫人(ディアンヌ・ド・ポワティエ)はアンリ2世の愛人。王は城を夫人に与えた。そして、王の死後、王妃であったカトリーヌ・ド・メディチは城を夫人から取り上げたというわけだ。愛人と正室との確執...。

ちなみに、このサイトの別館「ヨーロッパの歴史風景」の中には、シュノンソー城を巡るカトリーヌ・ド・メディチとポワティエ夫人との確執を書いたページもあるんだ。興味のある方は寄り道してね。

ついでながら、カトリーヌ・ド・メディチとは、言うまでもなくイタリア古都フィレンツェの名門メディチ家の出身のフランス王妃だよね。映画「マルゴー」にも登場していたけど、マルゴーのお母様だ。

庭園から見たシュノンソー城

森を抜けると、そこは広々とした庭園。その庭園の向こうにシュノンソー城がある。ロワールでも最も美しいと称される城。

遠望

あまりにも明るくて、風が気持ちよくて、貴婦人達の確執なんて忘れてしまう。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索



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