東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

パリに住んだ...つもりの 9 日間

パリ + ロワール・ノルマンディ・シャルトル
(フランス) 2000年9月



12. オペラ座

昼食の際にワインを飲みすぎてしまい気持ち良くなった私は、部屋に戻ってお昼寝。そして夕方4時。観光に燃える家内に叩き起こされる。ジーンズをはいて、再び外出。

オペラ座全景 大通りをオペラ座(右の画像)に向かって歩く。オペラ座の中を見たいというのが奥サンの希望なのだ。

余談ながら、オペラ座の画像を撮るにはちょっとした工夫がいる。被写体が大きすぎるために近すぎると全景がレンズにおさまらないのだ。

多くの人はオペラ座の前にある地下鉄オペラ座駅の出入り口付近でカメラを構える。しかし、そこからではレンズに入らない。

通りを少し南に下り、やや離れたところにある横断歩道の真ん中でカメラを構えるのが正解。というのが私の実験結果。

オペラ座内部 さて、話をオペラ座の舞台の見学に戻す。

結論から言えば、私たちは舞台を見学することは出来なかった。

オペラ座内部の見学のためのチケットの発売は夕方の4時半までなのだ。ちょっとの差で間に合わなかった。

その後、私たちがオペラ座にやってきたのは2度。しかし、舞台稽古が行われているという理由で、いずれも見学できず。オペラ座内部の見学は、将来の課題となってしまった...。

正確には、このオペラ座は「オペラ・ガルニエ」と呼ばれている。設計者であるシャルル・ガルニエ氏の名前を取ったものだ。

パリのオペラ座が完成したのは1862年のこと。ナポレオン3世による第2帝政時代であった。

この劇場では、長くオペラの上演が無かったらしい。しかし、1996年からはオペラの上演も再開されたとのこと。




パリのオペラ座とナポレオン暗殺未遂事件

ナポレオン3世時代に建てられた現在のオペラ座ではなく、その前のオペラ座の頃なんだけど、フランス革命勃発前のブルボン家による王政を回復しようとする王党派によってナポレオン1世に対する暗殺未遂事件が起こったんだそうな。

それは西暦1800年のクリスマス・イヴの日のこと。オペラ座に向かうナポレオンの馬車に爆弾が仕掛けられた。でも、ナポレオン暗殺は失敗に終わり、彼は更に権力を固めていく。やがて西暦1804年にはナポレオン1世はフランス皇帝になるんだ。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索



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