東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
イングランド南部の旅(イギリス)
1994年4月
1994年4月2日(土曜日)
08. 城壁、アビー、ノルマンの古城
旅に出て二日目の朝、ブラブラとカンタベリーの街を散歩する。
まずは市街地を取り囲む城壁の上を歩く。
城壁などの防備の基礎を築いたのは、11世紀に進出してきたノルマン人だ。
聖アウグスティヌス・アビー
続いて城壁の外(東側)にある聖アウグスティヌス・アビーの廃墟を歩く。
6世紀の末に聖アウグスティヌスによって築かれたアビーの跡だ。
(カンタベリーの)聖アウグスティヌス
- 少々ややこしいが、「聖アウグスティヌス」と呼ばれる人物は二人いる。一人は「ヒッポの聖アウグスティヌス」。4世紀の半ばに北アフリカで生まれ、キリスト教神学の大家となり、後の修道士達に多大な影響を与えた。しかし、このカンタベリーに足跡を残した人物ではない。
- カンタベリーにアビーを築いたのは、もう一人の「カンタベリーの聖アウグスティヌス」と呼ばれる人物だ。
- 596年、イタリアのローマに拠点を置くカトリック教会のリーダーである法王グレゴリウス1世は、イングランドをキリスト教化する使命をアウグスティヌスに与えた。
- 597年、40人の修道士を率いた聖アウグスティヌスがケントにやってきた。
同年、聖アウグスティヌスによってケント王エセルベルト1世がキリスト教に改宗した。(彼の王妃は以前からキリスト教徒だった。)
この年、聖アウグスティヌスはカンタベリーの初代大司教となった。
- 598年、聖アウグスティヌスは12の教区を組織した。
しかし、アイルランド系ケルト人の僧侶たちとの協力を確立することには失敗。アイルランドの僧たちは、ローマから派遣された聖アウグスティヌスとは独立して、イングランドで布教を行っていた。
- 605年(?)、聖アウグスティヌス死去。
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