東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

イングランド南部の旅(イギリス)

1994年4月


14. ペベンシー

ロンドンに戻る前に立ち寄ったのは、イースト・サセックスのペベンシー。人口約3千人という小さな村だ。

ちょうど時刻は、お昼時。お腹もすいた。村の唯一の食堂に足を踏み入れる。

たぶん、この店の中で日本人を見るのは珍しいのだろうなあ ... 。教会で日曜日のミサを終えてやってきたらしいカッチリした服装の老人達は、私たちの姿を見てナイフとフォークを持つ手を止めてしまった。それまで賑やかだった店内が静まりかえる。

とまどいながらも、先に店内に入った家内が、誰に言うとも無く、「ハロー」と挨拶。それがマジック・ワードだった。幾人かの老人達が挨拶を返すと同時に、凍りついた時間が再び流れ始めた。私たちも椅子に腰を降ろし、老人達の間で昼食にありついた。

ペベンシーの古城

ペベンシー城 食事の後、村のはずれにある古城を歩く。

古代ローマの城の廃墟に、イングランドの王となったウィリアム征服王が築いた城。

その後、この城は何度も攻撃を受けてながらも、決して落城することは無かった。

しかし、その城も今では廃墟 ... 。兵どもの夢の跡。




ペベンシーの海辺

最後にペベンシーの海辺(下の画像)を歩く。ひなびた海辺。しかし、この海を多くの軍船が覆い、浜を兵士達が埋め尽くした時があった。1066年9月26日のこと。その日、ノルマンディー公ウィリアムが、この浜に上陸した。(27日という説もある。)

ペベンシーの海辺

その後のウィリアム征服王

ペヴェンシーに上陸し、ヘイスティングスの戦いに勝利したウィリアム征服王は、最後のアングロ・サクソン系のイングランド王エドワード懺悔王が建てたウェストミンスター寺院でイングランド王として即位し、次第にイングランド支配を固めていったわけだ。

他方で、ウィリアム征服王はイングランド支配の拠点としてホワイト・タワー(ロンドン塔の中心にある)を築いている。今ではロンドン観光の名所の一つになっているよね。

イングランド南部の旅(イギリス)1994年4月

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索



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