東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
カロデン Culloden
ロンドンに住むスコットランド出身の友人が、「カロデンで負けへんかったらなあ ... 」と言うのを耳にしたことがある。
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(ワールドカップの予選かなんかか ?? )
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(あ、 .... 無視された。冗談やがな。)
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話は 1688 年にさかのぼる。ジェームズ 2 世が廃位され、オレンジ公ウィリアムとメアリーが王位を得た。(スチュワート家出身のイングランド王ジェームズ 2 世は、スコットランド王としてはジェームズ 7 世。)
しかし、スチュワート家は王位の奪還を目指す。それをスコットランドの一部の勢力(ジャコバイト)が支持する。(但し、スコットランドの全ての勢力がスチュワート家の復位を支持したわけではない。むしろローランド人や長老派の新教徒たちは、オレンジ公ウィリアムの政府を支持していた。)
その結果、ジェームズ 2 世の廃位の翌年から、スコットランドではウィリアム 3 世の政府に対する反乱が起こった。
1689年
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ボニー・ダンディー (ダンディー子爵ジョン・グラハム) の反乱。彼の軍は政府軍を撃ち破ったが、彼自身は戦死。翌年には反乱も鎮まる。
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1714年
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ジェームズ・スチュワートがスコットランド王ジェームズ 8 世を称す。しかし、翌年には政府軍に敗れ、反乱は鎮められる。
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1719年
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スペインの支援を得たジャコバイトの反乱。しかし、政府軍に敗れ、鎮まる。
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1725年
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スコットランド各地で主要道路の建設・整備が始まる。その目的は政府軍の迅速な移動にあった。
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1745年
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ボニー・プリンス・チャーリーが挙兵。(ジェームズ 8世の王子、チャールズ・エドワード・スチュワート。)
政府軍を撃ち破り、一時はダービーまで進撃した。しかし、政府軍の反攻を受け、ジャコバイト軍はスコットランドに戻る。
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1746年
4月16日
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インヴァネス近くのカロデンの荒野において、政府軍とジャコバイトが衝突し、ジャコバイト軍は壊滅。これを最後に、ジャコバイト勢力の抵抗は終息した。
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ちなみにカロデンの戦いの後、8月1日より、ハイランド独特のタータンチェックの衣装の着用が禁止された。
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